4月の読書メモ(沖縄密約)

『機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約』

機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約

機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約

 著者は『運命の人』で弓成のモデルとなった元毎日記者。悲願だった「杉原判決」を受けて執筆。『密約』著者の澤地久枝氏らとともに,沖縄密約文書の不開示を不服として提訴,地裁で「超完全勝利」(p.129)した。
 ただ,一年半後の控訴審判決は,逆転敗訴。文書は不存在なのだから,不開示処分は結論として適法ということに。不開示の決定を取り消すとした「杉原判決」は覆った。この判決には批判が高まって盛り上がっていたらしいが,全然知らなかった。
 本書は,密約の概要,裁判の経過,外務省での密約調査を紹介。中盤,結構筆が乗ってきたのか「いまこそ真の安全保障論を」と大風呂敷を広げた記述も。やはりなかなか熱い人なのだな,西山翁。
「旧防衛・外務官僚出身者を中心に盲目的なまでの軍事優先の抑止力論がなお横行する日本において、現代における真の意味の安全保障論が、いまこそ多角的に論じられなければならないのである。」(p.104)と,対米依存からの脱却を説いてる。

『運命の人』

運命の人(一) (文春文庫)

運命の人(一) (文春文庫)

 山崎豊子は『大地の子』,『白い巨塔』,『華麗なる一族』,『不毛地帯』など小説とドラマと両方見て来たけど,ドラマがかなり小説に忠実という点は,『運命の人』でも同じ印象。小説のほうが登場人物が多めで,詳しい感じ。勿論,ドラマでオリジナルのエピソードってほとんどないのでは。
 登場人物の名前が,実在の人物名を微変更したものであることや,複数の作品を通じて同じ人名が出てくることなどは,山崎ファンにはとても安心できる。佐藤→佐橋,大平→小平,田中角栄→田淵角造,とか。
 主人公の記者や女性事務官の名前はかなり変えられてるが,これは一般人だからかな。そういえば『不毛地帯』でも主人公の壱岐は,モデルとされた瀬島龍三とはだいぶ違う。一応民間人だから?
 第一巻は弓成逮捕まで。まだ二人の男女の関係は,詳しく出てこない。これもドラマと同じだった。

運命の人(二) (文春文庫)

運命の人(二) (文春文庫)

 逮捕,起訴,証人尋問と裁判がクローズアップ。『白い巨塔』もそうだったけど山崎豊子の小説って法廷シーンがよくあるな。『不毛地帯』でも東京裁判の場面があったっけ。

 ドラマとの違い。
・由里子の兄が登場。大手電気メーカーの技術者。
・ぎばちゃんがやってた大野木弁護士は,奥さんも弁護士で同期。由里子が離婚訴訟する場合に「私が不適格なら家内に担当させましょう」と言ってる。
・弓成が取り調べで受けた屈辱,ドラマより生々しい。現場検証(引き当り)で腰縄をつけられたまま,密会をしたホテルの部屋で,機密文書の受け渡しの様子を細かく言わされる場面。「機密文書を見せてほしいと哀願したのは、あの布団の中でか、それともこっちの座敷机の方なのかね」と聞かれて「弓成は舌を噛み切れるものならそうしたい恥辱に、肩を震わせ、無言で視線を逸らせた。」(p.199)だって。 ドラマに使えそうなシーンだけど,なかったよね,確か。
・法廷シーンは外務官僚の証人尋問が詳しい。内容が複雑なのでドラマでは切り詰められたんだろうな。裁判長は,官僚の証言拒否を想定して,法廷と外務省大臣官房の間にホットラインを敷いていた。証言承諾の可否と電話で問い合わせて,OKが出るも,「具体的に思い出せません」「書かれていること以上に理解は及びません」で逃げられちゃうんだけど。

『密約』読んだときに勘違いしてたけど,大野木弁護士は伊達判決の人じゃなかった。弓成の弁護団の団長が伊能弁護士という人で,こっちだった。「裁判官当時、砂川事件で米軍基地違憲の判決を下した憲法学者でもある伊能は、法曹界の重鎮と畏敬されているが、性格はフランクだった。」P.136-137

運命の人(三) (文春文庫)

運命の人(三) (文春文庫)

 地裁での公判から始まって,弓成がすべてを失って失意のどん底に陥るまで。とても切りが良く,このあと第四巻の沖縄篇に続いていく。本巻の最後は,これでもかというほど悲壮感あふれる。
 新聞記者としての職を失い,最高裁で有罪が確定し,実家の青果店も人手に渡り,破れかぶれで競馬場に通いつめていると,執心していたスズカブライトがここ一番のレースで粉砕骨折安楽死の運命を自らに重ね合わせる弓成というところで終る。相変わらず山崎豊子は徹底的だなあ。
 ドラマとの相違。柳葉敏郎のやってた大野木正弁護士。出自とか詳しく描写されている。大蔵省の課長だった父が帝人事件に連座し,その勾留中に2・26事件。幼心に鬼気迫る時代の雰囲気を感じ取り,政治に関心をもつ早熟な少年として成長していった。さすがギバちゃん,すごいなぁ。

運命の人(四) (文春文庫)

運命の人(四) (文春文庫)

 著者の思い入れ強い沖縄篇。個人的にはこの事件はやはり取材方法が脇甘すぎで,弓成に全く共感できないのだが,著者の意図はどれだけ成功しているんだろうか。物語としてはおもしろいけど。
 政府による悪質な隠蔽が些細な男女問題にすり替えられ,大衆に物事の道理を見えなくさせた事件ということらしいのだが,小説を読み切っても別に国家権力に対する怒りみたいなものは共有できなかった。意識が低いのかなぁ。これ読んだ人はみんな義憤に駆られているのだろうか。
 ドラマでは最終回の最後に原発事故に触れて,政府の隠蔽体質は今も変わらないみたいなことを言っていたけど,あれには強烈な違和感があったな。
 ドラマを見てから読んだので,いつもながら両者の違いが気になった。山崎豊子作品はドラマ化でも変更が少ないけれど,ミチの生い立ちがだいぶ違ってた。ドラマではミチ自身が米兵に暴行されたことになっていたが,小説ではそれは母親で,ミチは混血児として生まれたことになってる。
 ミチの母はその後精神を病んで死んでしまう。ドラマと小説のどちらの設定がよりつらいのか,それは何とも言えないけれど,自分のルーツに関わるし,母も犠牲になったということで,小説の方なのかもしれない。あと,弓成に会ったときミチはもう30を超えていたとか。ドラマはもっと若い設定だよね?
 あと,小説では山部が弓成よりだいぶ年上だったみたい。敬語使ってたから。山部はナベツネだというから,五歳上かな。
 それに,三木が弓成へ贈ったネクタイは小説に出てこなかった。ドラマでは結構な重要アイテムだったけど。
 そしてギバちゃん演じた大野木弁護士は,何と最高裁判事にまで上り詰めている。驚き。 あとがきで知ったが,モデルは大野正男氏。「弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件西山事件全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当」http://ja.wikipedia.org/wiki/大野正男

3月の読書メモ(その他)

『検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか』

検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか

検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか

 震災・原発事故にまつわるディープな怪情報の数々を収録。荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』は出所不明の怪情報を扱っていたが,本書は副題にもあるように,怪しい情報を振りまく「人物」にピントを合わせているところが特徴かな。ここ一年,Twitter上でそういう人たちがあぶりだされた観があるが,知らなかった人もいろいろ出てきた。いやぁ世界は広いね。
 ECRRの関係者を中心に,海外のデマ製造人についても検証してる。意外だったのが,ミチオ・カク氏。彼は物理学者で,彼の書いたアインシュタインの伝記(訳は菊池誠氏)は良かったのに…。「カクは震災後、数えきれないくらいテレビに出演していて…危険性を強調しまくってきた」p.152
 危険を煽る人々だけでなく,苫米地英人氏など無闇に安全と言い張る人も検証の対象になってる。全然知らなかったのは,松原照子氏はじめ,震災を予言していたとして話題になってた人々。下手な鉄砲も数うちゃ当たる方式か,曖昧な予言か,予言の捏造で「的中」と称し信者を獲得しているらしい。うーむ。
 震災直後に多くの人が真に受けてしまった怪文書原発がどんなものか知ってほしい」についての検証もためになった。まだ素朴に信じている人もいるんじゃないかなぁ。

『戦争の経済学』

戦争の経済学

戦争の経済学

 ミクロ経済学マクロ経済学の基本を使って,戦争にまつわる事象の経済を探る。戦争の経済効果,志願制と徴兵制,兵器の調達,内戦,テロ,核拡散,内容は多岐にわたる。訳者の山形活生氏による付録も興味深い。
 民間軍事会社(PMC)の分析が面白かった。いろいろ問題もあるがコスパが良く成果を上げているのには経済学的な理由がある。自由競争で決まる均衡賃金よりも高く設定された効率賃金を採用することが可能で,優秀な人材を登用できる。そんな芸当ができるのは,PMCは既に国家から十分な訓練を受けた人材を採用して研修費用を節約できるし,契約期間が終われば,年金を支払って一生面倒を見るなんてことをしなくていいから。そう考えると,冷戦が終わって以降に軍事の民営化が進んだのは,ごくごく自然な経済現象だったのかなあ。
 冷戦後は世界各地の内戦と国際テロが主要な戦争の舞台になった。内戦などの紛争リスクは,国の経済が天然資源に依存している場合に極大化する。反乱軍の資金源になるし,産出地域の分離独立が儲かりやすいし,資源の生み出す富が格差をもたらすし,民主主義を構築するインセンティブを殺ぐから。
 小規模な紛争を促進する武器として悪名高いのがカラシニコフAK-47。軽量,操作が簡単で殺傷力が高く,信頼性も高く,価格も安くて大量に出回る。大規模な兵器とは異なり競争市場が成り立っているため,AK-47の相場を見れば紛争がどれだけ差し迫っているかが分かるという。
 戦争なんて,物騒な話ではあるけれど,ちゃんと経済の論理に従って物事は動いているものだな。ただ完全に利益や利権で動いているわけでもなく,政治的な動機も重要なファクター。かなり特殊な分野とは言えるんだろう。

3月の読書メモ(社会)

『密約―外務省機密漏洩事件』

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

 TBSのドラマ『運命の人』を見て,ノンフィクションも読んでみた。国民に対する政府の重大な背信行為である密約問題が,ものの見事に男女の醜聞にすり替えられてしまったことを批判していく。地裁でのやりとりが詳しい。
 著者は外務省事務官だった蓮見さんと同年同月生れで,同じ女性ということもあり因縁めいたものを感じつつ取材・執筆している。もっとも蓮見さんには批判的。「自力で外務事務官のポストを得た四十路の女が、人形のように相手の一方的な意思によって蹂躪されたというのは、あきらかに誇張」p.312
 利用されるだけ利用され,捨てられた哀れな女というふうに世間に受け止められ,それが西山記者の有罪にもつながり,国民の知る権利が制限される結果になったことを問題視している。
 ドラマでは夫が外務省勤めだったが,そうではないらしい(埼玉県庁とか)。他にも細かい違いが多々あって興味深い。やはり事実はドラマほどドラマチックではない
 ドラマでは,弓成の「そそのかし」が争われた裁判は最高裁で有罪にひっくり返ったが,実際は高裁でひっくり返って最高裁は上告棄却。
 ドラマでは,三木は自分が漏洩させたことが発覚しないよう書類を焼いたりするが,実際はすぐに上司に告白してる。
 あと,ドラマでは三木がすべてを失ったことを強調していたが,本書には毎日新聞から示談で一千万円くらいもらったことや,発覚当時に社会党の人から三十万円の見舞金を受け取っていることが載ってた。意外,というか,よく考えるとまあそうなんだろうなというところ。
 沖縄返還に際してアメリカが払うべき軍用地補償費を,日本が肩代わりしたというのが問題とされた密約だったようだが,これがどの程度問題だったのか僕にはよくわからない。どんぶり勘定とは言わないまでも,こういうのは他のいろんな費用と合算してざっくり総額が決まるようなものじゃないのかな。思いやり予算とかのほうがずっと額も多いし。
 一つ本書の書きぶりで気になったのは,本当は日本が貰うはずの四百万ドルを,日本が払うことになったのだから日本の損害は八百万ドルだという主張(p.52,276)。なぜそういう計算になるのか意味がわからない。
 「本来収入となるべきところを支出するのであるから」(p.52)二倍になるのは当然という感じでさらっと書いてるのだが,肩代わりってことは,アメリカが日本政府を通じて払うところを,日本政府が自腹で払うということだから,二倍にならないのでは?批判の勢いあまっての計算ミスなんだろうか。

『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

 死刑確定を受けて読んでみた。この事件の概要が時間を追って書かれている。最高裁で差し戻されて高裁で死刑判決が出るまで。
 遺体の第一発見者として取調対象となり,わけもわからず茫然とする本村さん。妻の遺体を抱きしめてやれなかったことに自責の念。絶望から復讐に燃え,次第に冷静さを取戻し犯罪被害者の立場を変える運動に取り組んでいく。彼が最後まで闘えたのは,この運動に熱心にかかわってきたからなんだろう。
 この事件,そんなにリアルタイムで注目していたわけでなく,職場が新日鐵だったということも初めて知った。妻子の葬儀の世話や,辞表を預かりにするなど会社の助けも大きかったようだ。でも,父親が協力会社の従業員だったために犯人が同じ社宅に住んでて,それで事件に巻き込まれたんだよなぁ。

限界集落の真実: 過疎の村は消えるか?』

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

 90年ころに提起された「限界集落」という概念。高齢化で消滅の危機にある集落とされるが,未だにそのような「消滅集落」に至った例はないらしい。再生は期待できるという前向きな議論。
 著者は研究者で東北の過疎地のフィールドワークを熱心にしているようだ。効率優先のグローバル経済に不信感があるようで,過疎地域も捨てたものではないとのこと。過疎は,明治以降の近代化の中,特に昭和を通じた大変動期を,多くのむらが「家族の広域拡大化」で乗り切ろうとしたことに起因。
 限界集落に金をばらまいたり,箱物を作るとかいったハードの対策でなく,広域拡大した(つまり都市に出た)家族の力を使ったソフト的対策が重要なのではないかとの主張。先は明るいという。むしろ「限界集落」という言葉が独り歩きして,本当に消滅集落に至ってしまう「予言の自己成就」を警戒。

3月の読書メモ(原発2)

『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

 フリージャーナリストによる政府・東電の批判本。正義の味方っぷりがすごい。twitterで見ていた限り,フリージャーナリスト達の大騒ぎはまったくもって有害無益と感じたが,書籍にするとそういうボロは不可視化されるのね…。文章で食っているだけあって,よくできている。他の情報をシャットアウトしてこの本だけ読んだら,著者たちの言うことは正論で,フリージャーナリストは無謬,政府・東電はとんでもない組織だということになるんだろう。
 批判が当っている点もあるが,ちと責任を追及しすぎでないものねだりになってる感は否めない。定量的な議論は都合のいいところだけ登場。「海に意図的に放射性物質を流し汚染することは、生活も環境も破壊する最も避けねばならないことである。それにもかかわらず…」(p.117)と威勢がいいが,ではどうしろと?
 書名の通り,記者会見の模様が綴られる個所が多いが,そこを読むと田中龍作氏,上杉隆氏,岩上安身氏などが実に有益な質問をして,政府や東電は返答に窮しているという雰囲気が伝わってくる。彼らが危険デマを振りまいてきたことは微塵も感じられない。
 懺悔的記載を(ちょっとは)期待してたのだがほとんどなかった。わずかに,園田政務官が処理済みの汚染水を飲んだ件について,「飲む前に止めようという議論があった。しかし…その場に飲むように迫っていた中心的なフリージャーナリストがいなかったため、止めることができなかった。」(p.164) とあるのと,排除されたフリージャーナリストについてのフォローができなかったことを反省しているくらい。一冊の本なので,一貫性がないといけないということなんだろうけど。正義の人の話って眉に唾をつけて聞かないといけない。

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

 昨年3月11日の原発事故から,半年弱のドキュメント。メリハリのある三部構成で,原子炉への初期の対応,東京電力の救済スキームの構築,浜岡原発停止要請から管政権の終焉までを扱う。
 去年ニュース等で,リアルタイムで散発的に聞いた話がまとめて読めたのはなかなか有意義だった。著者はあとがきで,メルトダウンしていたのは炉心だけでなく,東電,経産省官僚,原発専門家,銀行,政治家,いずれもメルトダウンしていたと書いていて(p.349),そこを出発点に執筆したそうだ。
 なので筆致はすごく批判的。だけど,関係者がみんな無能で保身しか考えてない最悪の人々だ,という単純な構造では全然ないと思う。原発に限らず,今まで多くの問題で政府や大企業が批判されて来たけれど,そういう単純な批判を繰り返すだけでは何にもならない。陰謀論を助長するだけ。
 批判って後付けの部分が大きい。もちろん,全電源喪失の可能性を共産党が議会で指摘してたというのもあって,それにもかかわらず対応しなかったと言われるけど,たぶん他にもいろんな可能性が指摘されていて,そのすべてに対応しておくべきだったかはそれだけでは何とも言えない。
 もちろん危険を伴う事業なんだから,緊張感をもって,適切にやってかなくてはいけないけど,志気の問題もある。あまり批判ばかりされすぎるとかえって逆効果かも。責任追及でなく,問題の把握とその解決が重要なのだから,もっと冷静に議論していく必要がある。時間がかかるかもしれないけど。

『新版 原子力の社会史 その日本的展開』

新版  原子力の社会史 その日本的展開 (朝日選書)

新版 原子力の社会史 その日本的展開 (朝日選書)

 日本の原発の通史福島原発事故後に復刊されたもので,事故の概要とその影響について一章が加えられている。情報量が多く,一読して消化するのは厳しい。
 著者は東大理物出身。三十年来科学技術批判に取組んできただけあって業界に批判的。

 長い通史なので,六つに時代区分。
 1.戦時研究から禁止・休眠の時代(-53),
 2.制度化と試行錯誤の時代(-65),
 3.テイクオフと諸問題噴出の時代(-79),
 4.安定成長と民営化の時代(-94),
 5.事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(-2010),
 6.原子力開発利用斜陽化の時代(2011-)。

 通産省と電力業界の連合が商業化以降を担当,科学技術庁廃棄物処理高速増殖炉などの研究段階を担当する体制でずっとやってきた。もんじゅ核融合など,実用化時期の「ハッブル的後退」もあり,科学技術庁グループが力を失って,科学技術庁解体の原因となったそうだ。なかなか思うようにはいかないな。実現すればすごく良い技術なのに。引っ込みをつけるのは難しい。

3月の読書メモ(原発1)

『「反原発」の不都合な真実

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

 投資銀行サラリーマンの著者が,利害関係のない立場から,反原発の不合理を説く。理論物理をやってたそうで,数字も分かりやすく扱ってて好感がもてる。ちょっと推進に寄り過ぎのきらいもあるが破綻はない
 著者はブログ「金融日記」で震災直後から原発についての記事を精力的に書いていて,それの集大成といった感じ。論点は一通り押えてある原発は火力と比べても単位電力量を発電するのにかかる人命の犠牲も少なく,許容できる程度で,報道がセンセーショナルに取り上げるのは疑問。
 著者の観察によると,年間死者数が数十人以下の死因はセンセーショナルに報道され,数百人程度は社会問題に,数千人数万人になると珍しくなくなって誰も話題にしないという(p.46)。報道にはそういうバイアスがあることを意識して,客観的にリスク評価しないとね。
 主張がとても明快で読みやすい。うまい比喩も使ってる。「日本中の原発が再稼働できないという状況は、ローンで買った自宅を空き家にして、賃貸マンションに家賃を丸々払って住んでいるようなもの」(p.119)だって。減らすにしても段階的でないと。
 廃棄物処理については結構おおざっぱだった。海洋投棄をオススメしている。「ガラス固化体にして、頑丈な容器に入れ、海溝に沈めれば、やがてプレートといっしょに地球内部に巻き込まれていきます。」(p.167)というが,ちょっとあっさり言い過ぎでは。

放射線医が語る被ばくと発がんの真実』

放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)

放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)

 中川先生,放射能の危険を煽る人々に対して随分怒ってる。混乱の元凶は「正確な情報の欠如」にあるとして,広島・長崎で得られた知見,チェルノブイリの教訓をもとに,「福島でがんは増えない」と断言してくれる。
 アマゾンの評価はホント両極端。でも放射線医で,過去の著作もとても信頼できる内容だし,そんなに疑う理由はないと思う。生涯累積100mSvで癌死リスク0.5%上昇っていうのも,短時間で浴びた場合のデータがもとになってるようだし。慢性被曝なら相当安全と考えていいのでは。
 今の日本が癌大国っていうのも長寿が原因。その説明として挙げられている事例が面白かった。波平の設定年齢54歳(!)と郷ひろみ56歳を比較して,「どう見ても波平さんの方が年配に見えます。漫画が描かれた当時の50代は隠居暮らしの一歩手前といったところですが…」(p.59)だってw「フネさんは48歳、松田聖子さんは49歳です。こちらもとても、ほぼ同年齢とは思えません」とも。いやあ,中川さんセンスあるな。
 内容的にはそれほど真新しいことはなかったけど,大事なことが書いてある。チェルノブイリと同じレベル7だ!と単純に騒ぐのではなく,チェルノブイリで得られた結論「放射線の被害より,住み慣れた土地からの移住,生活の激変の方がリスクが高い」というのは銘記しておかないと。
 チェルノブイリの低線量被曝で起こった唯一の被害は子供の甲状腺で,セシウムの影響は見られていないこと,放射性ヨウ素による内部被曝は福島ではわずかだったことが,著者が「福島でがんは増えない」とする根拠。これはほかにも多くの人が同じことを言っていて,信用してよいと思っている。

 数値や単位に関して誤植があるみたい。
http://cknbstr.tumblr.com/post/15755712702
p.39のは結構まずいな。計算違い?
アメリカ駐在の商社マンが日本とアメリカを(誤:7→正:15)回往復すれば、日本での自然被ばくの(誤:3→正:2)倍にも達します。

原発「危険神話」の崩壊』

原発「危険神話」の崩壊 (PHP新書)

原発「危険神話」の崩壊 (PHP新書)

 福一事故では,原発の「安全神話」が否定されたと言うよりむしろ「危険神話」が否定されたのだという話。著者はツイッター上では不用意な発言が多く,震災から間がないころはほとんどデマ拡散者だったが,さすがに書籍になるとそういうのは刈り込まれてまともになってる原発の危険を否定するわけではなく,リスクを他と比較して費用対効果で判断すべきという姿勢は他の論者と同様。ただ前科(?)があるから一応眉に唾をつけながら読んでみた。まあまあいいんじゃない?
 武田教授や自由報道協会など,放射能の危険性を過大視する人々のダメさを批判してる。「宮台真司氏は福島事故のあと、ツイッター放射能デマを拡散して批判を浴びたが」とか書いてるけど(p.131),自分はどうなの?と思ってしまうな,やはり。
自由報道協会記者クラブを批判しているが、新聞記者がこんな(岩上氏の奇形児スクープ発言)報道をしたら懲戒処分だ。組織は情報の品質管理を行なう意味もあるのだ。」(p.111)というのは確かにそうなんだろうと思う。自由報道協会のジャーナリストは自由すぎる。
 まともなことを結構言っているが,気になるとこも。菅さんが事故直後の海水注入を「再臨界の恐れがある」として止めようとしたこと(p.23)は,『メルトダウン』で否定されていたし,WHOの報告に言及して携帯電話の健康被害を強調するとこ(p.67)は,ちょっとダブルスタンダードでは。
 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」,TL上で話題になってたことがあって,実家に行ったときに読んだりもしたんだけど,それで随分と不誠実な記事もあったのは驚いた。町田市で子供が鼻血を出した原因が放射能であるみたいに印象付けたりとか,それはちとひどいなあ。
 これってホントかな?
原子力発電所はかつては『原電』と呼ばれていたが、70年代に全国各地で運転差し止め訴訟が起こされたころから、反対派が『原発』と略すようになった。これはゲンパツという語感がゲンバクと似ていることから、その危険性を強調するため」p.41
 この本,情報の典拠がほとんど書いてない。新書ではそういうものかもしれないけど,この著者だけにちょっと頭から信用するのは考えものかも。藤原数希『「脱原発」の不都合な真実』ではその点充実してたな。本名かそうでないかの差かもだけど,池田氏の場合逆効果w
 まあそれでもこれまで読んできた信頼できる情報との矛盾はあまり感じられず,すんなりくる内容。「放射能ママが恐怖を抱いて、ガイガーカウンターで計測して回るのも自由だが、行政がそれに迎合して過剰な安全基準を決めると、巨額の賠償や除染が税負担になる。コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダーなのだ。」(p.114)っていうのはまさにその通り。去年の運動会問題ではほんとに痛感したんだった。今年は屋外でできるかなぁ?

3月の読書メモ(食・農)

無添加はかえって危ない ―誤解だらけの食品安全、正しく知れば怖くない』

無添加はかえって危ない

無添加はかえって危ない

 不誠実な「無添加食品」を科学的に批判していく好著。それにはベネフィットとリスクを比較衡量するということに尽きるのだが,そのことを丁寧に解説している。
 「無添加食品」を四つにパターン分け。
①何が無添加か不明,
②もともと使わない食品に「無添加」表示,
③代替品を使用して「不使用」表示,
マッチポンプ商法
 ③は少し分かりにくいが,「日持ち向上剤」という別の添加物を代用することで,「保存料不使用」と表示する類。この場合の日持ち向上剤はいわば「保存料」と書かずに済む保存料。もちろん保存料より効果が薄くて,より多く添加しないといけない。天然着色料を使って「合成保存料不使用」もよくあるパターンだが,天然が合成より安全とは限らないし,単なるイメージ戦略。
 そもそも現在適法に使われている食品添加物は,まったくといっていいほど害はない。それをさも有害であるかのような雰囲気を演出して,「無添加食品」を売る行為はマッチポンプ。「お客様の望みだから」という言い訳は通用しない。「それは『夢』を見ているだけであって、虚構による経済」,「虚構による経済が産むものは、まさに虚構であり、消費者には健康や安全を提供するものではない」,「いかに不自然な状況をつくって儲けを得ようとしているのか、ということ」(p.76)と手厳しい。
 添加物は,ベネフィットがあるから使われる。食品の品質を保ったり,嗜好性を向上したり,製造・加工に必要だったり,栄養強化のためだったり。無添加ということはそのベネフィットを捨てること。食品のリスクは食中毒が最も恐ろしく,保存料の無添加はそれに直結。管理等の面でコストも増大。
 確かに過去には添加物による健康被害が起こったが,そういう歴史を経て現在の添加物はリスクの小さいものになっている。メディアのバイアスや市民運動の自己目的化がそれを認めないだけ。こういう誤解が市場のゆがみをもたらし,社会経済的に損失をもたらしているとも言える。
 著者は最後にこう言ってる。「日本で普通にご飯を食べている限り、そんなに『危険な食べ物』というのはないということです。ゆえに何かを『危険!危険!』という商法自体、おかしいと疑うべきなのです。」(p.209) この正反対が(意識の高い人の)常識になってるのって絶対に変だと思う…。
 ただ,『無添加はかえって危ない』というタイトルは,微妙に自己矛盾を来しているような気もするな。けど,ま,それはいいか。「危ない」に引かれて手に取った人が,考えを改められるかもしれないし。

『空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ ――穀物が築いた日米の絆』

空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆

空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆

 今次の震災で,平時の食料供給網の脆弱性が露呈した。日本の農業と,「見えざるインフラ」である食料の輸送システムの現実を直視して,何をすべきか議論していこうという本。
 書名の通り,メインは穀物と畜産。「海を渡るトウモロコシ」は毎月百万トンものトウモロコシを輸入している現実を表してるけど,「空飛ぶ豚」は書名を見るだけだと誤解を招きそう。伊勢湾台風で被害を受けた山梨の畜産農家を救おうと,養豚の盛んなアイオワ出身の在日米軍曹長が,豚を空輸した「hog lift」というプロジェクトにちなんでいる。36頭の豚が米空軍の飛行機で生きたまま(一頭は死亡)運ばれて(3日もかかる),それをきっかけに日米間初の姉妹都市が誕生したという。
 日本は戦後,食生活の向上を追及し食肉の需要が増した。そして畜産業を確立・発展させるため,米国産の輸入飼料を安定的に輸入するシステムを構築してきた。北米のコーンベルトから,パナマ運河を通って月に30隻もの穀物船が往復している。
 まさに「見えざるインフラ」だ。普段の食生活では意識しないけれど,そういう現実があることを知るのは有意義。日本の胃袋は,国内の農地だけでは満たせない。今後日本は人口減少,対して中国やアフリカ・中東の穀物需要は増えるばかりで,いかにして購買力を維持していくかも大きな課題だ。

3月の読書メモ(歴史)

レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか』

 生誕百周年の昨年出た評伝。中公新書は良質の評伝が多く,どれも読みごたえがあって外れが少ないが,本書も良かった。アメリカ大衆文化の変遷を体現した偉大な大統領
 戦後のアメリカ大統領で人々の記憶にもっとも残るのが,ケネディレーガン。二人ともアイルランド系だけど,対照的レーガンの父は6歳で孤児となり、レーガン自身もゼロからの出発を余儀なくされる。一方6歳年下のケネディは裕福な家庭に生まれ(父ジョセフは駐英大使),レーガンより20年も前に若き大統領となり,40年以上前に死ぬ。
 ケネディは暗殺されたが,レーガンは銃撃を受けながらも生き延びる。撃たれて死ななかった大統領はレーガンだけ。しかも70歳という高齢なのに順調に回復。元映画俳優の彼は,大統領職でも映画のように人々を魅了した。
 レーガンが社会に出たのはラジオのアナウンスの仕事から。話術を遺憾なく発揮して映画俳優に,そして戦後はテレビにも出演,その経験をカリフォルニア州知事,そして大統領として活かした。ハリウッドでは組合活動に取り組むも反共主義で,政治では「小さな政府」を目指す経済保守の立場を貫いた。
 彼が大統領のときに冷戦が終結,結果的には幸いだったけど,レーガン現実と空想を混同する傾向があったらしく,読んでてなんだか危なっかしかった。自分の推測・希望を裏打ちする情報を重視する楽天で,そういう方向への記憶の改変も目立っていたようだ。
 また信仰心も篤く,「ハルマゲドンが近づいている(核戦争の危機が迫っている)」と日記につけたり,チェルノブイリが「ニガヨモギ」を意味すると聞いて「この惨劇は二千年前に聖書に予言されていた」と言って側近を驚愕させたという。占星術好きのナンシー夫人の影響もいろいろ受けてるし…。

ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』

ピュリツァー賞 受賞写真 全記録

ピュリツァー賞 受賞写真 全記録

 1942年から2011年までの写真部門受賞作品を収録。アメリカの新聞報道で使われた写真ということで,偏りもあるが,歴史的瞬間を見事に記録した写真が集まってて圧巻。
 94年受賞の「ハゲワシと少女」を始め,ショッキングで何度も引用される写真が多い。日本ではあまり取り上げられない残酷な場面を写した写真も。76年バンコクの左翼学生と右翼学生の抗争,80年リベリアのクーデタでの旧指導層の処刑,93年ソマリアで引き回される米兵の遺体,04年イラクでの米軍事会社社員の焼死体,など。もちろん,相当の危険を冒さなければこういった写真は撮れない。そこへあえて飛び込んでいくカメラマン。すごい。
 歴史的事件の写真だけでなく,レスキューの瞬間や日常風景を切り取った写真,オリンピックの写真なんかも。
 カメラ機材の変遷にも注目。初期の受賞作は,大きくて手間のかかる4×5スピードグラフィック。連写とかできないのにこれで決定的瞬間を撮るなんて…。次第に機動性が高い35ミリが増え,モータードライブで秒間十コマ撮影が可になり,デジタル化まで。カラー化が枝葉に見える進化。
 伝送技術の進展も,速報性に寄与した。昔は,フィルムの現物を運ばなくちゃならなかったんだから,大変だったんだな。カメラも通信技術も進歩して,ますます印象的な写真が,迅速に届けられるようになった。今年のピュリツァー賞では,東日本大震災の写真の受賞があるんだろうか?