3月の読書メモ(食・農)

無添加はかえって危ない ―誤解だらけの食品安全、正しく知れば怖くない』

無添加はかえって危ない

無添加はかえって危ない

 不誠実な「無添加食品」を科学的に批判していく好著。それにはベネフィットとリスクを比較衡量するということに尽きるのだが,そのことを丁寧に解説している。
 「無添加食品」を四つにパターン分け。
①何が無添加か不明,
②もともと使わない食品に「無添加」表示,
③代替品を使用して「不使用」表示,
マッチポンプ商法
 ③は少し分かりにくいが,「日持ち向上剤」という別の添加物を代用することで,「保存料不使用」と表示する類。この場合の日持ち向上剤はいわば「保存料」と書かずに済む保存料。もちろん保存料より効果が薄くて,より多く添加しないといけない。天然着色料を使って「合成保存料不使用」もよくあるパターンだが,天然が合成より安全とは限らないし,単なるイメージ戦略。
 そもそも現在適法に使われている食品添加物は,まったくといっていいほど害はない。それをさも有害であるかのような雰囲気を演出して,「無添加食品」を売る行為はマッチポンプ。「お客様の望みだから」という言い訳は通用しない。「それは『夢』を見ているだけであって、虚構による経済」,「虚構による経済が産むものは、まさに虚構であり、消費者には健康や安全を提供するものではない」,「いかに不自然な状況をつくって儲けを得ようとしているのか、ということ」(p.76)と手厳しい。
 添加物は,ベネフィットがあるから使われる。食品の品質を保ったり,嗜好性を向上したり,製造・加工に必要だったり,栄養強化のためだったり。無添加ということはそのベネフィットを捨てること。食品のリスクは食中毒が最も恐ろしく,保存料の無添加はそれに直結。管理等の面でコストも増大。
 確かに過去には添加物による健康被害が起こったが,そういう歴史を経て現在の添加物はリスクの小さいものになっている。メディアのバイアスや市民運動の自己目的化がそれを認めないだけ。こういう誤解が市場のゆがみをもたらし,社会経済的に損失をもたらしているとも言える。
 著者は最後にこう言ってる。「日本で普通にご飯を食べている限り、そんなに『危険な食べ物』というのはないということです。ゆえに何かを『危険!危険!』という商法自体、おかしいと疑うべきなのです。」(p.209) この正反対が(意識の高い人の)常識になってるのって絶対に変だと思う…。
 ただ,『無添加はかえって危ない』というタイトルは,微妙に自己矛盾を来しているような気もするな。けど,ま,それはいいか。「危ない」に引かれて手に取った人が,考えを改められるかもしれないし。

『空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ ――穀物が築いた日米の絆』

空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆

空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆

 今次の震災で,平時の食料供給網の脆弱性が露呈した。日本の農業と,「見えざるインフラ」である食料の輸送システムの現実を直視して,何をすべきか議論していこうという本。
 書名の通り,メインは穀物と畜産。「海を渡るトウモロコシ」は毎月百万トンものトウモロコシを輸入している現実を表してるけど,「空飛ぶ豚」は書名を見るだけだと誤解を招きそう。伊勢湾台風で被害を受けた山梨の畜産農家を救おうと,養豚の盛んなアイオワ出身の在日米軍曹長が,豚を空輸した「hog lift」というプロジェクトにちなんでいる。36頭の豚が米空軍の飛行機で生きたまま(一頭は死亡)運ばれて(3日もかかる),それをきっかけに日米間初の姉妹都市が誕生したという。
 日本は戦後,食生活の向上を追及し食肉の需要が増した。そして畜産業を確立・発展させるため,米国産の輸入飼料を安定的に輸入するシステムを構築してきた。北米のコーンベルトから,パナマ運河を通って月に30隻もの穀物船が往復している。
 まさに「見えざるインフラ」だ。普段の食生活では意識しないけれど,そういう現実があることを知るのは有意義。日本の胃袋は,国内の農地だけでは満たせない。今後日本は人口減少,対して中国やアフリカ・中東の穀物需要は増えるばかりで,いかにして購買力を維持していくかも大きな課題だ。