3月の読書メモ(原発1)

『「反原発」の不都合な真実

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

 投資銀行サラリーマンの著者が,利害関係のない立場から,反原発の不合理を説く。理論物理をやってたそうで,数字も分かりやすく扱ってて好感がもてる。ちょっと推進に寄り過ぎのきらいもあるが破綻はない
 著者はブログ「金融日記」で震災直後から原発についての記事を精力的に書いていて,それの集大成といった感じ。論点は一通り押えてある原発は火力と比べても単位電力量を発電するのにかかる人命の犠牲も少なく,許容できる程度で,報道がセンセーショナルに取り上げるのは疑問。
 著者の観察によると,年間死者数が数十人以下の死因はセンセーショナルに報道され,数百人程度は社会問題に,数千人数万人になると珍しくなくなって誰も話題にしないという(p.46)。報道にはそういうバイアスがあることを意識して,客観的にリスク評価しないとね。
 主張がとても明快で読みやすい。うまい比喩も使ってる。「日本中の原発が再稼働できないという状況は、ローンで買った自宅を空き家にして、賃貸マンションに家賃を丸々払って住んでいるようなもの」(p.119)だって。減らすにしても段階的でないと。
 廃棄物処理については結構おおざっぱだった。海洋投棄をオススメしている。「ガラス固化体にして、頑丈な容器に入れ、海溝に沈めれば、やがてプレートといっしょに地球内部に巻き込まれていきます。」(p.167)というが,ちょっとあっさり言い過ぎでは。

放射線医が語る被ばくと発がんの真実』

放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)

放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書)

 中川先生,放射能の危険を煽る人々に対して随分怒ってる。混乱の元凶は「正確な情報の欠如」にあるとして,広島・長崎で得られた知見,チェルノブイリの教訓をもとに,「福島でがんは増えない」と断言してくれる。
 アマゾンの評価はホント両極端。でも放射線医で,過去の著作もとても信頼できる内容だし,そんなに疑う理由はないと思う。生涯累積100mSvで癌死リスク0.5%上昇っていうのも,短時間で浴びた場合のデータがもとになってるようだし。慢性被曝なら相当安全と考えていいのでは。
 今の日本が癌大国っていうのも長寿が原因。その説明として挙げられている事例が面白かった。波平の設定年齢54歳(!)と郷ひろみ56歳を比較して,「どう見ても波平さんの方が年配に見えます。漫画が描かれた当時の50代は隠居暮らしの一歩手前といったところですが…」(p.59)だってw「フネさんは48歳、松田聖子さんは49歳です。こちらもとても、ほぼ同年齢とは思えません」とも。いやあ,中川さんセンスあるな。
 内容的にはそれほど真新しいことはなかったけど,大事なことが書いてある。チェルノブイリと同じレベル7だ!と単純に騒ぐのではなく,チェルノブイリで得られた結論「放射線の被害より,住み慣れた土地からの移住,生活の激変の方がリスクが高い」というのは銘記しておかないと。
 チェルノブイリの低線量被曝で起こった唯一の被害は子供の甲状腺で,セシウムの影響は見られていないこと,放射性ヨウ素による内部被曝は福島ではわずかだったことが,著者が「福島でがんは増えない」とする根拠。これはほかにも多くの人が同じことを言っていて,信用してよいと思っている。

 数値や単位に関して誤植があるみたい。
http://cknbstr.tumblr.com/post/15755712702
p.39のは結構まずいな。計算違い?
アメリカ駐在の商社マンが日本とアメリカを(誤:7→正:15)回往復すれば、日本での自然被ばくの(誤:3→正:2)倍にも達します。

原発「危険神話」の崩壊』

原発「危険神話」の崩壊 (PHP新書)

原発「危険神話」の崩壊 (PHP新書)

 福一事故では,原発の「安全神話」が否定されたと言うよりむしろ「危険神話」が否定されたのだという話。著者はツイッター上では不用意な発言が多く,震災から間がないころはほとんどデマ拡散者だったが,さすがに書籍になるとそういうのは刈り込まれてまともになってる原発の危険を否定するわけではなく,リスクを他と比較して費用対効果で判断すべきという姿勢は他の論者と同様。ただ前科(?)があるから一応眉に唾をつけながら読んでみた。まあまあいいんじゃない?
 武田教授や自由報道協会など,放射能の危険性を過大視する人々のダメさを批判してる。「宮台真司氏は福島事故のあと、ツイッター放射能デマを拡散して批判を浴びたが」とか書いてるけど(p.131),自分はどうなの?と思ってしまうな,やはり。
自由報道協会記者クラブを批判しているが、新聞記者がこんな(岩上氏の奇形児スクープ発言)報道をしたら懲戒処分だ。組織は情報の品質管理を行なう意味もあるのだ。」(p.111)というのは確かにそうなんだろうと思う。自由報道協会のジャーナリストは自由すぎる。
 まともなことを結構言っているが,気になるとこも。菅さんが事故直後の海水注入を「再臨界の恐れがある」として止めようとしたこと(p.23)は,『メルトダウン』で否定されていたし,WHOの報告に言及して携帯電話の健康被害を強調するとこ(p.67)は,ちょっとダブルスタンダードでは。
 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」,TL上で話題になってたことがあって,実家に行ったときに読んだりもしたんだけど,それで随分と不誠実な記事もあったのは驚いた。町田市で子供が鼻血を出した原因が放射能であるみたいに印象付けたりとか,それはちとひどいなあ。
 これってホントかな?
原子力発電所はかつては『原電』と呼ばれていたが、70年代に全国各地で運転差し止め訴訟が起こされたころから、反対派が『原発』と略すようになった。これはゲンパツという語感がゲンバクと似ていることから、その危険性を強調するため」p.41
 この本,情報の典拠がほとんど書いてない。新書ではそういうものかもしれないけど,この著者だけにちょっと頭から信用するのは考えものかも。藤原数希『「脱原発」の不都合な真実』ではその点充実してたな。本名かそうでないかの差かもだけど,池田氏の場合逆効果w
 まあそれでもこれまで読んできた信頼できる情報との矛盾はあまり感じられず,すんなりくる内容。「放射能ママが恐怖を抱いて、ガイガーカウンターで計測して回るのも自由だが、行政がそれに迎合して過剰な安全基準を決めると、巨額の賠償や除染が税負担になる。コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダーなのだ。」(p.114)っていうのはまさにその通り。去年の運動会問題ではほんとに痛感したんだった。今年は屋外でできるかなぁ?