3月の読書メモ(社会)

『密約―外務省機密漏洩事件』

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

 TBSのドラマ『運命の人』を見て,ノンフィクションも読んでみた。国民に対する政府の重大な背信行為である密約問題が,ものの見事に男女の醜聞にすり替えられてしまったことを批判していく。地裁でのやりとりが詳しい。
 著者は外務省事務官だった蓮見さんと同年同月生れで,同じ女性ということもあり因縁めいたものを感じつつ取材・執筆している。もっとも蓮見さんには批判的。「自力で外務事務官のポストを得た四十路の女が、人形のように相手の一方的な意思によって蹂躪されたというのは、あきらかに誇張」p.312
 利用されるだけ利用され,捨てられた哀れな女というふうに世間に受け止められ,それが西山記者の有罪にもつながり,国民の知る権利が制限される結果になったことを問題視している。
 ドラマでは夫が外務省勤めだったが,そうではないらしい(埼玉県庁とか)。他にも細かい違いが多々あって興味深い。やはり事実はドラマほどドラマチックではない
 ドラマでは,弓成の「そそのかし」が争われた裁判は最高裁で有罪にひっくり返ったが,実際は高裁でひっくり返って最高裁は上告棄却。
 ドラマでは,三木は自分が漏洩させたことが発覚しないよう書類を焼いたりするが,実際はすぐに上司に告白してる。
 あと,ドラマでは三木がすべてを失ったことを強調していたが,本書には毎日新聞から示談で一千万円くらいもらったことや,発覚当時に社会党の人から三十万円の見舞金を受け取っていることが載ってた。意外,というか,よく考えるとまあそうなんだろうなというところ。
 沖縄返還に際してアメリカが払うべき軍用地補償費を,日本が肩代わりしたというのが問題とされた密約だったようだが,これがどの程度問題だったのか僕にはよくわからない。どんぶり勘定とは言わないまでも,こういうのは他のいろんな費用と合算してざっくり総額が決まるようなものじゃないのかな。思いやり予算とかのほうがずっと額も多いし。
 一つ本書の書きぶりで気になったのは,本当は日本が貰うはずの四百万ドルを,日本が払うことになったのだから日本の損害は八百万ドルだという主張(p.52,276)。なぜそういう計算になるのか意味がわからない。
 「本来収入となるべきところを支出するのであるから」(p.52)二倍になるのは当然という感じでさらっと書いてるのだが,肩代わりってことは,アメリカが日本政府を通じて払うところを,日本政府が自腹で払うということだから,二倍にならないのでは?批判の勢いあまっての計算ミスなんだろうか。

『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

 死刑確定を受けて読んでみた。この事件の概要が時間を追って書かれている。最高裁で差し戻されて高裁で死刑判決が出るまで。
 遺体の第一発見者として取調対象となり,わけもわからず茫然とする本村さん。妻の遺体を抱きしめてやれなかったことに自責の念。絶望から復讐に燃え,次第に冷静さを取戻し犯罪被害者の立場を変える運動に取り組んでいく。彼が最後まで闘えたのは,この運動に熱心にかかわってきたからなんだろう。
 この事件,そんなにリアルタイムで注目していたわけでなく,職場が新日鐵だったということも初めて知った。妻子の葬儀の世話や,辞表を預かりにするなど会社の助けも大きかったようだ。でも,父親が協力会社の従業員だったために犯人が同じ社宅に住んでて,それで事件に巻き込まれたんだよなぁ。

限界集落の真実: 過疎の村は消えるか?』

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

 90年ころに提起された「限界集落」という概念。高齢化で消滅の危機にある集落とされるが,未だにそのような「消滅集落」に至った例はないらしい。再生は期待できるという前向きな議論。
 著者は研究者で東北の過疎地のフィールドワークを熱心にしているようだ。効率優先のグローバル経済に不信感があるようで,過疎地域も捨てたものではないとのこと。過疎は,明治以降の近代化の中,特に昭和を通じた大変動期を,多くのむらが「家族の広域拡大化」で乗り切ろうとしたことに起因。
 限界集落に金をばらまいたり,箱物を作るとかいったハードの対策でなく,広域拡大した(つまり都市に出た)家族の力を使ったソフト的対策が重要なのではないかとの主張。先は明るいという。むしろ「限界集落」という言葉が独り歩きして,本当に消滅集落に至ってしまう「予言の自己成就」を警戒。