『ワイルド・スワン』

北朝鮮はるかなり』を読んでいるのだが,これ,昔読んだ『ワイルド・スワン』をすごく彷彿とさせる。東アジアで,今からは信じられないほどの女性蔑視がはびこっていた,20世紀初頭からの家族史。共産主義に翻弄される人生。

『ワイルド・スワン』

ワイルド・スワン(上)

ワイルド・スワン(上)

ワイルド・スワン(下)

ワイルド・スワン(下)

 著者,張戎は,1952年生れ。文革をくぐり抜け,英語を学んでロンドンに留学。自らの体験と母の回想をもとに,祖母,母,自分の三代の女が生きた,激動の20世紀中国を描いている。
 古い中国での人々の生活は本当に苛酷であった。特に女性は虐げられている。祖先崇拝が根強く,女性は名前も与えられないほど軽視されるのが普通だった。纏足という風習があり,女の子は幼児のころから足を布できつく縛って小さいままにする。足は小さければ小さいほどよく,10センチほどであれば申し分ない。歩くのに支障がないはずはないが,纏足の女性が不器用によちよち歩く姿が男性に好まれた。著者の祖母の時代はまだこの風習が残っており,,祖母も激痛に耐えて小さい足を獲得した。幼い我が子が痛がる様子に纏足をあきらめる親もいたが,大きい足では嫁入りに差し支える。結婚に際して恥をかき,なぜ心を鬼にして纏足してくれなかったの,と親を恨む娘もいた。
 著者の祖母は軍閥時代にある将軍に見初められ,十代でその妾になる。警察で働く祖母の父が,二人の出会いをうまく演出したのだ。祖母には一軒の家が与えられるが,,正妻の他に大勢の妾を所有する将軍は,結婚式以来六年も帰ってこない。その間祖母は軟禁状態におかれ,独り寝の不幸をかこつ。六年後,突然戻った将軍との間に娘が生れる。著者の母であった。
 将軍の死後,正妻に娘を取り上げられそうになるが,幸運にも取り戻し,祖母は錦州で老医者の後妻として暮らす。錦州が位置する中国東北部は,軍閥割拠のあと,満洲国の支配をうけた。日本の敗戦でロシア軍がなだれ込む。錦州でも掠奪があり,抵抗する市民は殺戮された。その後も,支配者は次々と交替。特に,国民党軍と共産党軍は激しい市街戦を演じた。人命が限りなく軽い,そんな殺伐とした中で母は育つ。粗暴な国民党の兵隊にくらべ,共産党兵士は礼儀正しく規律があった。学生時代の母は共産党シンパになり,積極的にその活動に協力する。,そんな中で知り合った共産党ゲリラ隊長の父と結婚,間もなく,父の故郷四川省へ向かう。
 その15年ほど前,1934年から一年かけて,毛沢東率いる革命軍は,国民党の攻撃を避け抗日を行なうため,江西省瑞金から陝西省延安まで北上した。世に言う長征である。父は,そのころからの共産党員で,いまや幹部であった。ただ潔癖な彼は,自分にも家族にも厳しかった。母との帰郷途上,母は体調を崩すが,父は自分の乗る自動車に乗せてやることもなかった。党幹部でなければ乗れない規則なのだ。,身内びいきは中国の旧弊の筆頭である。過去の政権の腐敗・崩潰もすべてこれら古い中国の悪徳に淵源する。すべての人民は平等に扱わなくてはならない。共産主義こそ人類の理想である。父の党への忠誠心は相当なものだった。長時間の苛酷な移動の中,母は初めての子を流産した。
 四川省で母も党の仕事を得て,使命に励む。合間に子供が四人でき,二番目が著者であった。党員たるもの起きている時間はことごとく党務に捧げることを要求され,子供達は託児所で育つ。のちに満洲から移ってきた祖母も面倒をみてくれた。
 著者が幼い頃の共産党は様々な模索を続けた。かつて国民党や日帝を支持した者や,農村の地主などの敵対階級は,真っ先に弾圧されていたが,それが落ち着くと反右派闘争が始まる。「百花斉放・百家争鳴」というかりそめの言論の自由化が行なわれ,炙り出された批判的文化人が右派分子として弾圧されていった。職場内でも告発が強制され(糾弾すべき人数のノルマがあった),数々の冤罪を生んだが,それと引き替えに毛沢東体制は強化された。そして50年代末の大躍進。小規模で無意味な土法炉での鉄鋼生産に,農村・都市のマンパワーがことごとく割かれ,ソ連の支援引揚や天災も重なって,食糧が不足,数千万が餓死した。
 そして著者が中学生のとき,ついに,文革が始まり,著者も紅衛兵となる毛沢東を崇拝する学生や労働者が,教師や党幹部,知識人を吊し上げ,伝統文化を破壊した。エネルギーに溢れ,分別のない若者が,理想社会を目指すというスローガンに煽られて暴走した。中央幹部では,劉少奇訒小平などの,実権派が,資本主義の道を歩む修正主義の「走資派」と名指しされて失脚毛沢東は,大躍進の失敗などで失われつつあった権力を再び確保するために文革を仕掛けたのだった。彼は自分が神格化されていたことを最大限利用した。党組織を破壊することもいとわなかった。忠実な党幹部だった著者の両親も迫害される。この,混乱に乗じて私怨を晴らす者も大勢いた。暴力と狂気が支配する状況に著者は嫌悪感を抱くが,そんな感情を抱く自分の方が間違っているのだと信じ込む。この破壊は理想のためなのだ。当時の筆者には,毛沢東を疑うことなど考えられなかった。
 やがて著者は農村に下放される。,人々の現実を見て,文革の間違いがおぼろげながら見えてきた。当局は,若者を見下していた。断片的な事実から政治の現状を認識し,批判的にとらえることなどできないと考えて,「革命精神を農村から学べ」と若者を下放したのだった。しかし,著者の周りにも疑問を感じる若者は少なくなかった。そして76年,ようやく文革の嵐は過ぎ去る。毛沢東が死んだのだ。
 著者はロンドンへの留学が決まり,祖国を後にする。彼女には,そのときまで,毛沢東を全否定することはできなかった文革の責任は江青をはじめとする中央文革委員会の四人組にある。中国の公式見解もそうである。建国の父毛沢東の肖像は今も天安門広場を見渡している。

2月の読書メモ(科学)

『「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス』

 市民のための科学リテラシー。豊富な例を交え,平易な語り口で,科学哲学のポイントを紹介。科学と社会について考える上で知っておくべきことが網羅されてる。著者には初めての新書ということだが,意外。他にもいい本をいろいろと書いてる。
 科学リテラシーとは,科学の扱う個別的内容ではなく,科学という活動について理解すること。「科学でわかったこと」を教わるだけでは,科学を理解したことにならない。どうしてこんな大事なことを「学校で教えてくれない」んだろ?
 各章末にまとめがついていて,分かりやすい。二分法的思考は排除すべきこと,科学は真理ではなく少しでも良い仮説を求めていく活動であること,科学によってさまざまな現象について体系的な説明が可能になること。超心理学が科学になれないのは,「現在の科学的見解と反する現象」を対象とする時点で科学であることを自己否定しているから。
 科学に用いる推論には,真理保存的な演繹と情報量を増やしてくれる帰納・類推・アブダクションなどがあって,これらを組み合わせる仮説演繹法が強力な道具になっている。仮説の検証には,はっきりした反証条件を定立しておくことが大事。後付けで仮説を修正することで理論を救う態度は,あまり多用すると科学ではなくなってしまう。検証実験は適切なコントロールがなされていなければならない。相関関係と因果関係は異なる。こういったことを踏まえたうえで,本書第二部では,市民の科学リテラシーをどう社会に活かしていくのかを論じる。かなり良い本,オススメです。

『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

 擬似科学批判の古典。原書が出たのは今から60年も前。解説は山本弘で,彼の人生を変えた本ということだ。この本が邦訳されなかったら「と学会」はなかったのかも。
 60年前のアメリカも,今の日本も,トンデモな説が結構影響力をもっているのは変わらない。科学時代が始まって以来,科学を騙るまがいものがはびこるのは,普遍的な現象のようだ。特にアメリカっぽいのは反進化論。あと,論者たちはかなり壮大な理論体系を脳内構築しているらしいのも特徴的。
 地球が平らだとか,空洞だとか,あからさまにデタラメっぽいのから,相対論を否定するためにリーマン幾何学の破綻を示そうと,平行線公準を「証明」してしまおうという一見それっぽいのまでいろいろあるけど,どれも話にならない。言ってる本人は大真面目で確信に満ちているのだが…。
 医療とか,心理学の関係する分野では,特にトンデモが隆盛を極める。なぜかというと,儲かるし,なんだかわからないけれどうまくいったように見えるからだ。病気は何もしなくても良くなることがあるが,それをホメオパシーのおかげだとか勘違いしてしまう。
 フロイトの弟子でデタラメ心理分析とかやってたらしい人も取り上げられている。というかフロイト自身かなりその気が…。
 結構有名人も擬似科学にはまる。エジソンは心霊現象を信じていたらしいし(p.303),文豪ゲーテニュートンの光学を否定する支離滅裂な色彩論をものしてる(p.89)。
 古い本なので,状況がかわってることもあるのは仕方ない。 確実な科学とダメダメな非科学の間に,「賛否両論のかしましい理論」として「宇宙が膨脹しつつあるという理論」を挙げてる(p.21)のとか,「くすりというものは多くの場合自然界に見出される化合物」という記述(p.182)とか。

『奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか』

奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか (ハヤカワ文庫NF)

 一巻に引き続き,1950年代までの擬似科学を広範に。空飛ぶ円盤,ダウジングアトランティスとムー,ピラミッド学,骨相,手相,筆跡学,etc.
 科学が政治に屈服したルイセンコ説の興亡も取り上げられている。まともな学者を迫害したルイセンコは,「偶然」を信じず,統計的手法を使うことに反対する。つまりそれって科学じゃない。ソ連を訪れた遺伝学者は,ルイセンコは初歩的知識も知らず,九九を知らぬ人と微積を論じてるようだったと評した。
 片瀬久美子氏のブログでこの本に言及されてたのが読んだきっかけ。そこで取り上げられてたのがオカルト医療器械。提唱者はたいてい信じ込んでいて,まともな医者に「迫害」される自分をゼンメルワイスに喩えるとか被害妄想甚だしい。対照的に,儲かると分かった継承者は確信犯だったりもする。

2月の読書メモ(物理)

『「余剰次元」と逆二乗則の破れ』

「余剰次元」と逆二乗則の破れ―我々の世界は本当に三次元か? (ブルーバックス)

「余剰次元」と逆二乗則の破れ―我々の世界は本当に三次元か? (ブルーバックス)

 実験屋さんの書いたADD模型の解説本。空間は三次元でなく,1mm程度より小さい領域では五次元かもしれないという話。洗練されていく近距離重力の実験でそれが検証できるかも?
 そもそも重力や電気力などの力の大きさが,距離の二乗に反比例するという逆二乗則は,空間が三次元であることから説明できる。質量や電荷などの荷量から出る力線の密度が,距離の二乗に反比例するからというキレイな説明だ。 ちなみに逆二乗則の発見はニュートン万有引力の法則が最初。
 場の量子論の考えでは,力は仮想的な媒介粒子による運動量のやり取りで生じる。この考えでも,空間中の力線密度と同様の幾何学的な説明が成り立つ。n次元空間であれば,力は距離のn−1乗に反比例することになる。ただし,これは媒介粒子に質量がないとき。
 弱い力を伝えるウィークボゾンのように,媒介粒子に質量があるときは,力の到達距離が短くなる。また,真空のゆらぎから粒子反粒子対の生成消滅の効果として,真空偏極という現象もある。これらを考慮に入れると,力の法則の一般形は,(真空偏極)×(ベキ乗則)×(湯川型減衰)となる。
 地上で初めて重力を測定したのが18世紀の物理学者キャベンディッシュ。電気力は大きいのでそれより前にクーロンが測定していたが,キャベンディッシュはクーロンの発明したねじれ天秤を改良して微小な重力を測定することができた。この実験から地球の質量を求めることができたのは有名な話。
 本当は,当時万有引力の法則は,天体間距離のスケールくらいでしか検証されていなかったので,それが実験室スケールでもあてはまるという仮定は根拠に乏しかったのだが,今ではこの仮定は正しかったことがわかっている。現在は,さらに小スケールにおける逆二乗則の検証が試みられている。
 キャベンディッシュの実験は20cm程度の距離だったが,これを縮めていくのはかなり難しい。重力がとんでもなく小さいから,わずかな振動や帯電も相対的に大きなノイズとなり,それに埋もれて精度が出ない。それを排除すべく巧妙な実験が設計されている。現代のキャベンディッシュたち!
 ADD模型によれば,重力が他の力(電磁力,弱い力,強い力)に比べて極端に小さいことの説明がうまくできるそうだ。余剰次元がミリメートル程度まで広がっているとすると,それを境に微小距離では逆二乗則が成り立たなくなってくる。それが実験で検出できるか否か,きわどいところ。
 超ひも理論で空間が十次元て説があるのは聞いていたが,余剰次元プランク長さくらいのスケールでコンパクト化されているのが常識だった。1998年のADD論文は,この常識を覆すもので,物理学者たち仰天したという。目に見えるミリ単位で余剰次元が存在するとしたらすごい。進展に注目したい。

『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミパラドックス

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

 1950年の夏,ロスアラモス。テラーらと昼食中のフェルミが唐突に「みんなどこにいるんだろう」と疑問を発した。地球外からの来訪者はなぜいないのか?
 銀河系には何千億個の恒星があり,惑星もそのくらいはあるだろう。中には生命の存在を許容する地球型惑星もあるはず。銀河系ができて膨大な時間が経過しており,その中には技術を発達させて地球にコンタクトしてくる文明があるはずだ。それなのになぜ来ないのか?これがフェルミパラドックス
 フェルミより前にこの疑問を表明した人(ツィオルコフスキー1903)もいたが,フェルミの名前が冠されるのは,彼が大雑把だけれども出鱈目ではない数の概算を得意としていたからという(フェルミ推算)。「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」みたいな。p.25
 本書は,このフェルミパラドックスに対する50の解答を紹介。解答はざっくり三つの群に分けられる。「実は来ている」という荒唐無稽なものから,「存在するがまだ連絡がない」,「存在しない」というものまで。最後の解50で著者の意見が開陳される。
 解答は独立しているわけではなく,どれか一つが正しい解答というわけではない。示された解答の複数がからみあっているのかも。こういう問題に取組むには自由な発想が必要で,SFとの関連も深い。ブレインストーミングのようで面白い。しかも,物理学者の著者がフィルターかけてくれるので嬉しい。
「実は来ている」説の中にはUFO実在論もあったりするわけだが,「実は来ている」の亜種で,「動物園シナリオ」というのが面白い。地球外生命は,自分たちの存在を気付かせずに地球人を観察しているんだよ,というもの。人類は地球という自然公園で保護されているのかもw。
 著者の結論は「存在しない」というもの。地球人が唯一の知的生命で,ETはいない。理屈としては,地球が例外的に恵まれた環境にあったということ。天動説の再来,人間原理という感じが濃厚だけど,結局そうなのかも。本書は「…かもしれない」が何百回と出てくるが,誰にも確かなことは分からない。
 人類誕生が僥倖だったというのは,いくつかの解答が根拠を述べている。継続的に居住可能な領域(CHT)はとても狭いのかも。木星があの位置にあることや,大きな月があることや,プレートテクトニクスがあることは,めったにないことで,それらは生命の誕生・進化に多大な貢献をするのかも。
 長い間近くに超新星がなかったことや,ガンマ線バースター(GRB)に遭遇しなかったことも奇跡なのかもしれない。有機物から最初の生命が誕生するのはほとんどありえないことなのかもしれない。答えはなくて,いろいろな可能性を探るだけだが,読んでてとても楽しかった

『質量はどのように生まれるのか』

質量はどのように生まれるのか―素粒子物理最大のミステリーに迫る (ブルーバックス)

質量はどのように生まれるのか―素粒子物理最大のミステリーに迫る (ブルーバックス)

 質量の起源をテーマに,量子論素粒子論の概要をやさしく解説。この手の本,よく読むのだが,導入から基本事項の確認までは快調に読んでても,後半ついていけなくなるお決まりのパターン…。無念。
 でもなんとなく雰囲気は分かってきたような気がする。要するに質量の起源は,98%が量子色力学の真空に,2%がヒッグス機構による,ということらしい。素粒子論では真空が重要で,素粒子が沈澱(凝縮)する真空における,自発的対称性の破れが質量をもたらすというのが南部理論。
 収穫だったのが,今まで何だかよくわからなかったスピンについて。シュレディンガー方程式を,特殊相対論を考慮して修正したのがクラインーゴルドン方程式だがこれはうまくいかない。さらに時間と空間の対称性を考慮して時間微分も空間微分も一階にした方程式がディラック方程式ディラック方程式から陽電子が予言され,後に確認されたことは知ってたのだが,パウリが(根拠なしに)導入したスピンも,この方程式に出現していた。すでに知られていたシュレディンガー方程式を相対論と矛盾なく書き換えることで,天下りで導入されてたスピンに理論的根拠が与えられたのか!
 ちょっと気になったこと。快調に読んでた前半部分なのだが,特殊相対論の説明で「走っている人が測ると、同じ長さのものでも伸びて見える。」(p.67)と言うのだが,これは「縮んで見える」の間違いでしょう。走っている人にとっては測るものが動いてるんだから。それが相対性。
 実は本当にどう見えるかは単純でない。p.67では,上記に続けて「逆に言うと、丸いボールを高速に近い速さで飛ばすと、地上でそのボールを見る人は進行方向にぺったんこにつぶれた空飛ぶお好み焼きを見ることになるだろう。」と書いてあるが,丸いボールは,確か丸いまま見えるんじゃなかった?ガモフも間違えたとか。
 丸いボールが光速に近い速さで横切るのを見ると,形は丸いまま見えるのだが,見えるはずのない裏側が見える。立方体とか,球ではない形だと,さらに歪んで見える。視点と物体の各点の距離が違うから,光が届く時間も異なり,その間に物体は動くのでそういう見え方になる。

ベテルギウス超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見』

ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)

ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)

 ベテルギウスは最初の第一章だけ,副題の加速膨脹についても最終章で触れられる程度。メインは宇宙論の発展について。シン『宇宙創成』で読んだのでざっとさらう感じだった。
 ベテルギウスは,今年にも超新星爆発してもおかしくないと話題になってる。もしすれば,満月くらいの明るさになって昼でも見えるようになる。前回銀河系内で超新星爆発があったのは,400年も前。もしベテルギウス超新星爆発したら,その仕組みが詳しく解析されて宇宙論が大いに進展するはず。
 400年前の超新星爆発ケプラーの頃。師のティコの頃にもあったというが,400年前は望遠鏡はなく,肉眼での観測。それでもこの天体ショーは詳しく記録され今に伝わる。ベテルギウスはもっと地球に近く,640光年くらいの距離。しかも今人類は多くの高性能望遠鏡を持ってる。これは期待大。
 それだけにちょっと本書は期待外れ。一応超新星に焦点を当てた感じではあるのだが,いかんせん一般的な宇宙論の解説が多い。面白いエピソードも読めたのでまあいいけど。メシエが作ったメシエ・カタログは,彼が熱中した彗星探しのため,彗星でない無視してよい星雲・星団をリストしたもの,とか。
 著者は,サイエンスライターということだが,慶應の法学部出身らしい。文科省宇宙開発委員会の委員を7年やってたそうだけど,どういう経歴だろ?ちょっと誤解に基づくような記載も見かけた。
 p.77「ヘリウムは独立独歩の元素で、互いどうしでもペアを組むということがない元素です。そのため、ヘリウムが核融合するためにはある条件を満たさなければなりません。三個のヘリウム原子核がほぼ同時に超高速で衝突することです。」
 これって化学反応と核反応をごっちゃにしてないかなぁ?
 著者の夫の野本憲一氏は天文学者ということ。なるほど。

1月の読書メモ(その他)

著作権の世紀』

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

 著作権のこれからを考える良本。教科書的な話は省き,現状の問題点,取組などをいろいろ紹介。タイトルの「世紀」とは二十世紀のこと。情報の複製技術,通信技術がどんどん発達した百年。
 現在何より悩ましいのが,権利処理。作品が多次的・複合的になっていくにつれて,著作権にかかわる人が増える。しかも権利は共有にかかるので,全員の同意を取り付けないといけない。音楽などではJASRACが一元管理する仕組みがあるが,映像作品となると,関係者も多く,なかなか厳しい。
 被写体の肖像権なんか考えると,もう何もできないかに見える。NHKや国立国会図書館は規模のメリットを生かしてアーカイヴィングに取組んでいるが,それでも権利者を捕捉するのは至難の業。創作者の没年が分からなければ,権利が切れてるかどうかも分からない。
 コンプライアンス,法化の趨勢にあって,委縮効果も甚大。そこで,作品を広く流通させつつ,創作者にいかにして利益を還元するか,模索がなされている。登録制や報酬請求権化,フェアユースなどの著作権リフォーム論,技術的対策としてのDRM,パブリックライセンスなど。

『地雷を踏む勇気』

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

 人気コラムニストの放談。日経ビジネスONLINEの連載「ア・ピース・オブ・警句」の書籍化。いやあ,文章がすごくうまくて引き込まれる。冒頭の原発マッチョ論は,ネット上でも読んだけど,再読も楽しかった。一読の価値はある。
 ただ,要するにコラムニストは非専門家で,もっともらしいことを分かりやすく言っているからあまり真に受けない方がよいのだろう。本人も,そのような趣旨のことを言っている。自虐的に。
p.41から引用
「『識者』というのは、『自分がはっきりわかっていない事象について』『さらにわかっていない無知な一般大衆を相手に』『わかった気にさせるコメントを提供することのできる』『…そこいらへんのおっさん』なのである。」
 確かに。至言だ…。
 数年前に内田樹にはまった時期があったが,彼もそんな感じ全開だ。最近は飽きたので,日経ビジネスONLINEで見かけた小田島隆をたまに読むようになったのだが,たぶんそのうち飽きるんだろう。その次は誰を読めばいいかな…?

『体制維新』

体制維新――大阪都 (文春新書)

体制維新――大阪都 (文春新書)

 橋下氏のヴィジョン,断片的に耳に入ってきてはいたが,ようやくまとまった形で読めた。大阪都構想から道州制。熱っぽく語る。新書にしては字が小さめで分量がある。堺屋氏との対談も収録。
 頻りに言っていたのは,政治と行政の役割分担。システム・仕組みを変えるのは民意を受けた政治。それに沿って動くのが行政。どちらも不可欠。敵対関係ばかりが報道されてたようだが,職員たちへの敬意も忘れていない。結構好印象だった。
 大阪都構想は,巨大すぎて住民から遠く,柔軟に対応できない大阪市役所を,8か9の特別行政区に分けるという話。今の24区は,独自予算も乏しく区長も任命制でほとんど何もできない。また府と市が同じようなことをやってる無駄も省いていく必要がある。
 相当な抵抗があってしんどい仕事であることは百も承知で,でもだから政治がそれをやらなくちゃいけないと意気込む。結構強引な印象で、反感を買うタイプだが,こういう人がいないと物事は変わらないのかも。大阪都がうまくいった暁には,どうも国政に打って出て道州制の導入に力を尽くしたい様子。

1月の読書メモ(宗教)

イスラム―癒しの知恵』

イスラム―癒しの知恵 (集英社新書)

イスラム―癒しの知恵 (集英社新書)

 イスラム地域研究者が,イスラムの教えをポジティブに解説。イスラム圏では自殺が少ないらしい。どの宗教も自殺は基本的に禁忌だが,イスラムは特にすべてを神に委ねる考え方なので,自殺は神の否定につながる
 ではなぜ自爆テロ?という話だが,それは著者の『イスラムの怒り』に詳しい。信仰の敵とのジハードで命を落とす殉教は,イスラムでは価値ある行為とされているから。ただ911なんかを殉教で正当化するのはかなり無理で,現実にイスラム共同体の存続が脅かされている場合に限られるらしい。
 悲しいことにパレスチナ,特にガザの状況は絶望的。自爆テロを殉教とみなしてしまうくらいに悲惨。だからこそハマスが支持を得た。しかし,本来イスラムの教えはかなりポジティブで,多用される「インシャアッラー」もその表れ。日本人は重い病気などすると「因果」とか「霊」とか後ろめたさを感じるが,その点,神の御業と達観しているムスリムは,くよくよすることも少ない。結果,予後もよいのではと著者は推測。少なくともQOLは上がるだろう。
 それと,アッラーは人間の弱さを知悉していて,欲望に負けてラマダンなど戒律を破ってしまっても,後で喜捨などをして善行を積むことで,回復可能。ちなみにラマダン月の日中は,断食だけではなくて,性欲とかあらゆる欲望を絶つんだという(サウム)。日中だけ絶てばいいなんて食欲より簡単だ。
 とまれ,イスラムの教えはムスリムの生活に深く入り込んでいて,敬虔の程度には差はあれど,基本的に望ましいものとして認識されている。
 思いがけず叶った著者たちとトルコ外相の会見が詳しく紹介されている。EU加盟が後退したために実現した会見だが,外相の言うことは理にかなってる。「ヨーロッパの価値というのは、宗教、民族、言語にあるのではありません。…民主主義、人権、自由な市場経済システムにあるはずです。」p.103
 ただ,著者がかなりイスラム贔屓で,西洋文明に批判的なのが少し気にかかった。宗教のおかげでよりよく生きているムスリムも多いだろうけど,余計な世話を焼かれる共同体重視の環境を煙たく思っている人もいるようだし,その程度がひどくて傷ついている人々もいるかもしれない。
 それでも,西洋側からのイスラム理解が偏見に満ちていて,それが両者の関係をギクシャクさせていることは事実なのだろう。もっと相互理解が進むといいけれど,移民労働の問題もあり,経済面でもっと余裕が必要かも。宗教にこだわりのない日本人ができることも少なくない,のかもしれない。

池上彰の宗教がわかれば世界が見える』

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

 世界の主要な宗教の概要と,各専門家との対談…なのだが,対談の最後が,なぜか養老孟司。宗教の専門家じゃないじゃないか!死生観の専門家?あの人は『バカの壁』から変わっていないなぁ。
 著者の本は初めて読んだ。それにしても,この四文字で始まる書籍や番組って,いったいいくつあるのだろうか?

1月の読書メモ(経済)

『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門 もう代案はありません

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門 もう代案はありません

 この人は本当に文章が上手い。学者ではなく金融機関のサラリーマンだが,経済学者の書いた本よりずっと理解しやすい。
 内容は怪しいけど理解した気にさせてくれる,わけではなく,今まで触れた雑多な経済知識をうまくまとめてくれている感じで,結構信頼できると思う。立場的には,新自由主義で,なるべく規制をなくして自由経済を追及することが好ましいとしている。読んでいてなかなか説得力がある。
 本書は,経済学の細かい理論的説明はなるべく省いて,現実の経済活動に関係する話を中心にまとめたもの。特にオリジナルの説が乗っているわけではない。導入部は,ライブドア事件村上ファンド事件,マドフの6兆円ねずみ講詐欺など,インパクトの大きい最近の経済スキャンダルを取り上げて興味を引く。
 第二章から,経済学の基礎を要領よく紹介。最後に今後の日本経済への提言。税制改革,年金の清算,解雇自由化,農業自由化,道州制,教育バウチャーなど。勿論完全自由ではなくて,市場が適正に働くよう,独占排除,外部不経済の回避,公共財の提供,情報の非対称性是正には政府が関与すべしとする。

『リスクの正体!』

リスクの正体!-賢いリスクとのつきあい方 (木星叢書)

リスクの正体!-賢いリスクとのつきあい方 (木星叢書)

 リスクコミュニケーションの本かと期待したけど,リスクについてのエッセイ集といった感じ。経営学(経済学?)を専門とする著者のブログを元にした本ということで,まあそんなとこかな。
 でも一応構成は工夫されてて,客観リスクと主観リスクの区別みたいな話から始まる。主観リスクは「どんだけ怖いか」。主観的なバイアスが大きく入り込んでいて,被害の規模が大きかったり,コントロール可能性が少なかったり,現象が未知だったりするリスクは,過剰評価される。
 将来のリスクと密接に関わる「予測」についても。通常の「探索的予測」のほかに,政府の経済予測などの「規範的予測」がある。予測の主体が結果に影響を与えうる場合で,「どうなるか」でなく「将来どうしたいか」という目標を示すのが「規範的予測」。
 著者の専門はリアルオプションというものらしく,それについて一章。でも事例を挙げてものすごく噛み砕いて基礎を説明。意思決定を遅らせることでリスクに柔軟に対処することを指すが,その時間を確保するにもコストはかかる。単に待てばいいのではなく,その時間も有効利用しなくては。
予測市場」というのは初めて知った。郵政選挙のときに行なわれた「総選挙はてな」というのが国内初の選挙予測市場公職選挙法で開票前の「人気投票」の結果公表は禁じられているが,予測市場自分の希望に投票するのではなく結果を予測するものなので別物,という見解が詳しく述べられる。
 ところどころに進化心理学的な話も。「予測」は生存に有利なため発達してきたとか。リスクをとることに楽しみを感じるのもそういう説明が可能。不確実性の高い状況ではリスク回避的になるが,不確実性の低い状況ではリスクを取ることが好まれる。その個人差が社会を変える原動力なのかも。

『ユーロ・リスク』

ユーロ・リスク 日経プレミアシリーズ

ユーロ・リスク 日経プレミアシリーズ

 アイルランドに端を発し,ギリシャで深刻化した欧州財政危機。17のユーロ導入国を破綻のリスクに応じて高中低にグループ分け。それぞれの事情を解説し,ユーロという通貨自体の抱えるリスクも論じてる。
 各国の政府債務残高と純対外資産残高の二つの基準(ともにGDP比)から,財政危機のリスクを評価。高リスクグループのギリシャアイルランドポルトガル・スペイン,中リスクグループの代表イタリアとベルギー,ドイツ・フランスをはじめとする低リスクグループ六か国の状況を紹介。
 危機的状況の高リスクグループを低リスクグループが支える構図で,ドイツやフランスには大きな負担がかかる。これを機にギリシャやドイツがユーロ離脱するかどうかについて考察していて,結論は否定的為替相場を変動させるとドラクマ安で債務返済は困難になり,マルク高で輸出が厳しくなる。
 財政危機を回避するためのメカニズムもいろいろ検討されており,結局,ユーロは何とかうまくやっていくだろう,という楽観的な評価だった。そうだといいけど。この本が書かれてからも状況はめまぐるしく変わってるんだろうが,大丈夫なのかな。

1月の読書メモ(放射能)

『福島 嘘と真実』

福島 嘘と真実―東日本放射線衛生調査からの報告 (高田純の放射線防護学入門シリーズ)

福島 嘘と真実―東日本放射線衛生調査からの報告 (高田純の放射線防護学入門シリーズ)

 放射線防護の専門家である著者が,2011年4月6日から5日間にわたって行なった,東日本を縦断する放射線調査の結果をまとめている。札幌ー青森ー仙台ー福島ー東京。
 結論としては,今回の事故による放射能汚染で,健康への影響が懸念されることはないということ。チェルノブイリや他の核災害事例との比較,実測データを基にした考察で説得力がある。政府の対応への論難,除染の方法の提言なども。
 福島では,福一正門前での計測も含めて,3日間でわずか0.1mSvの被曝だったそうだ。プルトニウムの空中飛散もなく,用意していたマスクや防護衣も不要だったという。原発から20km圏内では,置き去りにされた家畜が餓死したが,チェルノブイリでも家畜避難はなされたという。政府の不手際。
 巻末に,調査旅行を終えた直後に新宿医師会で行なった講演会の内容(含む質疑応答)と,過去の著作から再録した世界の核災害(チェルノブイリ,スリーマイル,東海村,広島,ビキニ,楼蘭周辺)の概要を収録。楼蘭では合計22メガトンの地上核実験が行なわれ,中でも地表核実験では,大量の砂を巻き上げた大爆発により,広範囲に汚染された「核の砂」をまき散らした。チェルノブイリの比ではない。日本にも飛んできているらしい。

『中国の核実験』

 1960年代から楼蘭付近で行なわれた核実験。その総出力は20メガトン。うち8.5メガトンは地表核爆発で,大量の「核の砂」を撒き散らした。情報が公開されておらず詳細は不明だが,多くの人的被害が出ていると推定されるという。
 放射線防護が専門の著者は,隣国カザフスタンでの調査から,19万人が急性放射線障害で死亡したと結論。これが事実ならすごいことだ。特に被害を広げたのは,核爆発により作られる火球が地表に接する地表核爆発実験放射性物質が大量に混じった土壌を巻き上げ,それが広い範囲にばらまかれる。
 アメリカやソ連も大規模な大気圏内核実験をしたが,海上であり,内陸でメガトン級の核実験をやったのは中国だけだという。安全を確保する措置がきちんと取られていた可能性は少なく,住民の避難や治療についてケアがあったのかも不明。安全管理がちゃんとなされていたなら公表すべきと著者は言っている。確かにそうかも知れない。

『核の砂漠とシルクロード観光のリスク』

 1980年のNHK特集「シルクロード」が呼び込んだ日本観光客が核のリスクにさらされたと告発する本。『中国の核実験』の一年後に出ているが,比較的冷静だった前著に比べかなり筆致が激しい。ちょっと引いちゃうくらい。
 NHKは核実験の事実を知っていたにもかかわらず,それを隠蔽したと主張している。中国政府のお仕着せの取材行で,真実は伏せられた。「犯罪番組」「NHKは中国が輸出するプルトニウム入りの毒餃子を販売しているような組織である。」p.61
 さすがにちょっとうさんくさくなってきた。シルクロードへ行って,健康被害が出たと思われる人を絶賛募集中らしい…。
著者の主催するサイトを見たら,げんなり。左翼崩れの右翼?少なくとも上品とは言えない。
 日本シルクロード科学倶楽部 http://junta21.blog.ocn.ne.jp/
 ただ,中国が過去の核実験について情報を公開していないのは確かなようで,まったく被害が出なかったいうことも考えにくい。著者とは独立で何か信頼ある科学的調査をしている人はいないんだろうか。1998年のBBCの番組もなんだか微妙。
 文化大革命時代に,そんなに人命尊重しつつ核実験をやったというわけでもなさそうだが…。核爆発直後に解放軍の兵士を爆心地に突入させるということもやっているとかいないとか。判断の材料に乏しくて何とも。