2月の読書メモ(科学)

『「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス』

 市民のための科学リテラシー。豊富な例を交え,平易な語り口で,科学哲学のポイントを紹介。科学と社会について考える上で知っておくべきことが網羅されてる。著者には初めての新書ということだが,意外。他にもいい本をいろいろと書いてる。
 科学リテラシーとは,科学の扱う個別的内容ではなく,科学という活動について理解すること。「科学でわかったこと」を教わるだけでは,科学を理解したことにならない。どうしてこんな大事なことを「学校で教えてくれない」んだろ?
 各章末にまとめがついていて,分かりやすい。二分法的思考は排除すべきこと,科学は真理ではなく少しでも良い仮説を求めていく活動であること,科学によってさまざまな現象について体系的な説明が可能になること。超心理学が科学になれないのは,「現在の科学的見解と反する現象」を対象とする時点で科学であることを自己否定しているから。
 科学に用いる推論には,真理保存的な演繹と情報量を増やしてくれる帰納・類推・アブダクションなどがあって,これらを組み合わせる仮説演繹法が強力な道具になっている。仮説の検証には,はっきりした反証条件を定立しておくことが大事。後付けで仮説を修正することで理論を救う態度は,あまり多用すると科学ではなくなってしまう。検証実験は適切なコントロールがなされていなければならない。相関関係と因果関係は異なる。こういったことを踏まえたうえで,本書第二部では,市民の科学リテラシーをどう社会に活かしていくのかを論じる。かなり良い本,オススメです。

『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

 擬似科学批判の古典。原書が出たのは今から60年も前。解説は山本弘で,彼の人生を変えた本ということだ。この本が邦訳されなかったら「と学会」はなかったのかも。
 60年前のアメリカも,今の日本も,トンデモな説が結構影響力をもっているのは変わらない。科学時代が始まって以来,科学を騙るまがいものがはびこるのは,普遍的な現象のようだ。特にアメリカっぽいのは反進化論。あと,論者たちはかなり壮大な理論体系を脳内構築しているらしいのも特徴的。
 地球が平らだとか,空洞だとか,あからさまにデタラメっぽいのから,相対論を否定するためにリーマン幾何学の破綻を示そうと,平行線公準を「証明」してしまおうという一見それっぽいのまでいろいろあるけど,どれも話にならない。言ってる本人は大真面目で確信に満ちているのだが…。
 医療とか,心理学の関係する分野では,特にトンデモが隆盛を極める。なぜかというと,儲かるし,なんだかわからないけれどうまくいったように見えるからだ。病気は何もしなくても良くなることがあるが,それをホメオパシーのおかげだとか勘違いしてしまう。
 フロイトの弟子でデタラメ心理分析とかやってたらしい人も取り上げられている。というかフロイト自身かなりその気が…。
 結構有名人も擬似科学にはまる。エジソンは心霊現象を信じていたらしいし(p.303),文豪ゲーテニュートンの光学を否定する支離滅裂な色彩論をものしてる(p.89)。
 古い本なので,状況がかわってることもあるのは仕方ない。 確実な科学とダメダメな非科学の間に,「賛否両論のかしましい理論」として「宇宙が膨脹しつつあるという理論」を挙げてる(p.21)のとか,「くすりというものは多くの場合自然界に見出される化合物」という記述(p.182)とか。

『奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか』

奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか (ハヤカワ文庫NF)

 一巻に引き続き,1950年代までの擬似科学を広範に。空飛ぶ円盤,ダウジングアトランティスとムー,ピラミッド学,骨相,手相,筆跡学,etc.
 科学が政治に屈服したルイセンコ説の興亡も取り上げられている。まともな学者を迫害したルイセンコは,「偶然」を信じず,統計的手法を使うことに反対する。つまりそれって科学じゃない。ソ連を訪れた遺伝学者は,ルイセンコは初歩的知識も知らず,九九を知らぬ人と微積を論じてるようだったと評した。
 片瀬久美子氏のブログでこの本に言及されてたのが読んだきっかけ。そこで取り上げられてたのがオカルト医療器械。提唱者はたいてい信じ込んでいて,まともな医者に「迫害」される自分をゼンメルワイスに喩えるとか被害妄想甚だしい。対照的に,儲かると分かった継承者は確信犯だったりもする。