2月の読書メモ(政治)

『政治家の殺し方』

政治家の殺し方

政治家の殺し方

 利権にノーを主張して2002年に就任した前横浜市長の筆者が,改革に反対する勢力から受けた誹謗中傷の数々。これはすごい。捏造された女性スキャンダル,市職員からの脅迫…。地方政治の闇は深い。
「火がないところに煙は立たない」とか,「嘘も百回言えば本当になる」と言われるように,事実無根のスキャンダル攻勢で政治家の政治生命を断つのはとても簡単だという。週刊誌だけならまだしも,結婚の約束を反故にされたという女性が顔出しで記者会見して,テレビで放映されたのはダメージ大だった。
 これが国政であれば,議会で与野党が論戦する中で,真っ赤なウソであることが暴露されるのだろうが,オール与党の地方政治ではこういった作用が起こらない。著者は裁判で潔白を証明する作戦に出るが,時間もかかる。その間にスキャンダル発信側の目的は達せられる
 市役所改革ではいろいろと職員からの恨みを買ったそうだ。交通費が1月定期で計算していたのを半年定期にしたり,「知恵を凝らした」特殊勤務手当をなくしていったり。そういう既得権を奪う改革に対して,職員から「死ね」という文面のメールが来たり,「殺す」という脅迫電話が来たり。
 著者は,「清濁併せ呑めない」タイプで,そういう性格が執拗な攻撃を招いてしまったのだろうと自己分析している。そうかもしれないが,悪いのは相手だよねえ。改革に抵抗はつきものとはいえ,それにしてもちょっとひどすぎる。

『日本の魚は大丈夫か―漁業は三陸から生まれ変わる』

日本の魚は大丈夫か 漁業は三陸から生まれ変わる (NHK出版新書)

日本の魚は大丈夫か 漁業は三陸から生まれ変わる (NHK出版新書)

 震災・津波以前から,日本の漁業はずっと崩潰への道を走っている。補助金漬けだった漁業を漁獲管理で再生させたノルウェー等の成功例に学ぶことが不可欠。説得力がある。
 三陸の漁港が潰滅的な被害を受けた。これを復興するというのは並大抵でない。奪われたシェアを取り戻すには付加価値が必要。かわいそうだから元に戻すという安易な考えでなく,これを機に日本の漁業をゼロから作り直すくらいでなくては。戦後日本の漁業の歴史,漁業先進国の取組み等を踏まえて提言。水産物放射能汚染についての最後の一章を割いている。
 国が主体となった適切な漁獲管理。これを日本は取り入れられていない。乱獲によって資源量が枯渇して,水揚げは未成魚ばかり。鯖なんかが典型で,日本のスーパーに並ぶのはほとんどノルウェー産。
 日本では小さいうちに獲ってしまうため,魚粉用に買いたたかれてしまう。漁獲量を制限すれば,小さいのをとることは経済的に不合理になるからおのずとこの悪循環は回避できる。それがなぜ日本ではできないのか。補助金でやっている現状,変化を嫌う声が大きいこと,事なかれ主義の横溢だ。
 漁業先進国はしたたか。自国での消費はそれほどでないことも多く,日本への輸出に力を入れていたり。寿司ネタの鮪が減っていくニッチを,サーモンで取りに行こうとノルウェーは国策として回転寿司チェーンとタイアップ。「子供は鮪よりサーモンが好き」と一大キャンペーンを張ったとか。
 p.103「水産庁は、『日本の漁業者は意識が高く、乱獲をしないから、国が資源管理をする必要がない』とか『IQ方式はノルウェーのような、魚が少ない海域では機能するが、日本には適していない』といった、意味不明の理由を並べ」てるらしい。三陸漁業復興を錦旗に,改革が成らないものだろうか?
 ちなみに,この本,図書館で探してもらったんだけど,最初みつからずに手間取った。「にほんのさかなはだいじょうぶか」で検索してもノーヒット,奇怪に思ってると,「にほんのうおはだいじょうぶか」で見つかった。「魚」の訓読みは長らく「うお」しか認められてなかったとはいえ,これは…。

原発訴訟』

原発訴訟 (岩波新書)

原発訴訟 (岩波新書)

 著者は,原発訴訟をライフワークとしてきた日弁連事務総長。社民党党首福島みずほ氏の内縁の夫。熱意がこもっているだけに危険の強調に傾いてて,誤解を招く記述も見られるが,伊方原発訴訟からの日本の原発訴訟の概要がまとまっている。
 やはり地震大国の日本に,54基もの原発を作ってしまったことを大きな問題として追及している。ただ,勝訴はまれで,もんじゅの原子炉設置許可処分の無効確認訴訟での控訴審判決,志賀原発二号炉の運転差止訴訟での地裁判決の二件のみ。いずれものちに逆転敗訴している。
 前半で扱われる原発事故の危険をめぐる話はともかく,ちょっとバイアスがきつかったのは後半部分。労災や脱原発へ向けての課題の箇所。「被曝労働者が労災認定されているケースでも、電力会社は、容易に責任を認めようとしない…裁判所は厳格な立証を求めて、労働者の救済を否定する」(p.195)と,70mSvの労働被曝で「多発性骨髄腫を発症した」とされるケースについて損害賠償を否定した最高裁判決を批判。労災は労働者の救済のため因果関係の証明を要せず広く認められるのに対し,損害賠償を認容するにはしっかりした因果関係の立証が必要なのは,別に不思議でも何ともないのだが。
 また,自然エネルギーの促進で脱原発につなげようとのくだりで,「ドイツにおける再生可能エネルギーの発展は原発の閉鎖計画と連動している。日本では原子力を温存するために再生可能エネルギーの発展を阻害する政策がとられてきた。」(p.239)としているけど,サンシャイン計画ってなかったっけ?
 もちろんいろいろ知らないことも書かれてて勉強になった。原子力損害賠償法では「責任集中の原則」がとられていて,原子力事業者にだけ賠償責任を負わせていることとか。電力会社だけが無過失・無限の責任を負い,メーカーや関連会社は免責。これは原発導入時,英米企業の利益を擁護するためにできた規定で,不合理で違憲の疑いもあり,廃止すべきとしている。現行法では,国の責任について明確な規定はないが,国を免責する解釈は成り立たないとも。
 もんじゅの裁判で,動燃が隠していた安全性に関する重大な報告書が古本屋から見つかったというエピソードには驚く。そんなこともあるのか…。