1月の読書メモ(歴史)
『戦時司法の諸相』
- 作者: 矢澤久純,清永聡,泉徳治
- 出版社/メーカー: 渓水社
- 発売日: 2011/10
- メディア: 単行本
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この判決は,空前絶後の国政選挙無効判決だが、歴史家が言及してただけで,法学者による本格的研究はなかったという。本書には判決原本から全文が収録されてる。 判決文はもちろん,引用文も正字正仮名で,学術ちっく。
翼賛選挙については,戦時中の国会で,4人の議員が批判的に取り上げている。調査した選挙妨害の内容や政府の姿勢を議事録に残して,同時代の国民に知らせ,後世に遺した意味は大。
無効訴訟が何件か提起されたが,無効判決になったのは,鹿児島二区だけ。昭和20年3月1日言渡で,3月20日には再選挙となった。ちなみに3月10日の東京大空襲で判決原本は焼けたと思われていたが,後に救われて残っていることが判明した。
鹿児島二区の選挙妨害は県知事以下かなり積極的に関わって酷かったらしく,非推薦候補は皆落ちた。再選挙が行なわれたが,結局当選者の顔ぶれは変わらなかった。ただ,一人は翼賛会から離脱していたし,何より空襲もある戦争末期に,無効判決が求める再選挙がしっかり実施されたことに注目。
雑誌「法律新報」は,大正創刊。当初はリベラル色の濃い法律雑誌だったが,戦争が近づくにつれて,戦争賛美,国家への貢献を強く主張するようになっていく。さらには日本精神に価値を置く法曹組織(日本法理研究会)の機関紙になってしまう。普通の雑誌だけでなく,法律誌まで「撃ちてしやまむ」とは…
こんな時代の雰囲気の中で,無効判決を出した吉田裁判長たちは,すごいな…。ちなみに,戦後「法律新報」は復刊するが,題字にローマ字をでかでかと掲げ,戦争協力の記事を書いていたことの弁明もなし,というお決まりのパターン。新聞も,雑誌も,世の中がみんなそうだったんだよな…。
『地図から消えた島々』
地図から消えた島々: 幻の日本領と南洋探検家たち (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 長谷川亮一
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2011/05/20
- メディア: 単行本
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そんな幽霊みたいな島々がどうして出てきたのか,などを検証。ざっくり言うと,別の島が違う位置に記録されちゃったか,意図的にでっち上げられたかのどっちか。
大航海時代以来,海図が作られきたが,経度の測定には精巧な時計が必要。経度の正確な記録は長いこと難しかった。(緯度は星で簡単)
船が座礁とかするとえらいことなので,それを避けるために海図は作られた。だからあるかどうか確信がなくても,あるかもねということで一応載せておくというのは合理的。それが,領土獲得競争の始まる近代でも残っちゃったために,「一応あるよね」的幽霊島が乱立したというわけ。
アホウドリ(羽毛)とグアノ(リン肥料)という二大資源があったため,それが南洋の島を獲得する動機づけになった。ありもしない島がでっち上げられると,それを真に受けた山師が,「確認してきた」と偽って,先取権を主張。しっちゃかめっちゃかに。経度の測定ミスでは説明できない島々もそう考えれば納得だ。
『徹底検証 日清・日露戦争』
日清戦争で北洋艦隊が壊滅するわけだが,「西太后が軍艦マニアでなくて何よりでした」という戸郄さんのコメントは面白い(p.52)。彼女が頤和園なんかの贅沢に費やした金が,艦隊につぎ込まれていたら…という話。やはり西太后は破格だな…。
意外だったのは,あんなに小説でもドラマでも盛り上がった203高地陥落の意味。多大な犠牲を払って確保したあの頂上に観測所を設置,28サンチ砲で港内の艦隊を撃沈したというのがドラマチックだが,事実と異なるらしい。実際は,203高地を取る前に旅順艦隊は壊滅していた…。軍艦に照準は定められないが,地図上に書いたマス目を一つづつ撃っていったところ,命中していたとのよし(p.163)。
日本海海戦については,宮中にだけ残っていて昭和天皇が崩御の直前に下賜された『極秘明治三十七、八年海戦史』という詳細な史料によって伝説とは異なる多くの事実が判明したそうだ。例えば,「天気晴朗ナレドモ浪高シ」だったために中止せざるを得なくなった連繋機雷を撒く戦法,こういう奇襲作戦を公にしてしまうとその後の戦争に差し支えるからという理由で秘密にされてたみたい。
ともあれ日露の成功体験が,太平洋戦争の精神主義や奇襲偏重につながったというのはうなづけるな。