1月の読書メモ(中国)

中国史の名君と宰相 (中公文庫)

中国史の名君と宰相 (中公文庫)

 事典の原稿だったため全集に採録されなかった,孔子始皇帝漢の武帝煬帝雍正帝,李斯の伝記(各10頁弱)をはじめ,戦前の卒論でやった南宋末の宰相賈似道,水滸伝に登場する宋江などが取り上げられてる。
 始皇帝死後の,李斯と趙高の陰謀成功ってのは事実なのかな?死を隠して長子扶蘇と政敵蒙恬を自殺させ,遺詔を捏造して弟の胡亥を建てる。
 まあ事実かどうかはともかく,永いことこれが事実と信じられて参考にされてきたことの方が大事なんだよね。伝説や虚構も含めて中国の歴史。
 雍正帝の在位は十四年。それぞれ六十年を超える康煕と乾隆に挟まれて目立たないが,重要な時代。行政改革で軍機処をつくり,寝る間も惜しんで働いた。お家騒動を防ぐ「太子密建の法」も雍正帝が始めた。いやあ,名君だな。
 多くの朝廷に仕えた五代の風見鶏宰相,馮道汪兆銘との共通点を指摘して結構評価している。汪兆銘は,南京国民政府設立で革命家としての経歴を台無しにしたとされるが,与えられた状況の中で最善を尽くしたはず。
 著者の生きた時代が文章に反映してるなと思った。収録されている文章の多くは改革開放前のもの。孔子についても,批林批孔と絡めて,毀誉褒貶が時代に応じて激変することが指摘される。意外と平凡な人物だったのが,次第に神格化されたり,一転貶められたり。歴史とはかようなものなのだ,たぶん。

李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)

李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)

 李鴻章の生きた19世紀後半の清朝は,激動の時代。科挙をはじめ,自分が頭角を現す舞台だった古いシステムを打破する必要性を痛感するも,ついにその実現を見ることなく生涯を終えた。それでも彼の働きは決して欠かすことができないものだった。この巨人の人生と,瓦解へ向かう清朝の運命が印象的に描かれる。やはり中国史における王朝末期の物語はドラマチック。
 科挙に受かった典型的エリート官僚だった李鴻章。内憂外患のまっただ中,淮軍を組織して太平天国を平定し,北洋大臣として厳しい外交にあたり「洋務」「海防」に邁進。実務官僚として位人臣を極める。
 淮軍は,曾国藩の湘軍にならって作ったもので,地方の有力な武装集団を組織したもの。曾国藩は,李鴻章の父の科挙及第同期。そのコネで,殿試を控えた李鴻章曾国藩に師事したのが縁。太平天国を平らげた後,湘軍は解散へ向かうが,上海の潤沢な財力に裏打ちされた淮軍は残る。
 財源は釐金と言って,要するに貿易に対する関税のピンハネ。上海を抑えた李鴻章はこの点有利だった。生産力の乏しい長江中流域を拠点とする湘軍は,十年にわたる太平天国との戦いで疲弊,給料の遅配も続き維持できなくなる。後の捻軍鎮圧には,当初曾国藩が淮軍を率いたが,李鴻章の私兵である淮軍を思うように動かすことはできず,途中で交替。その軍事力に裏打ちされた交渉力が必要とされ,李鴻章は直隷総督兼北洋大臣に任命される。これ以降三十年以上にわたって,対外関係をほとんど一手に引き受けることに。その交渉は苦しいものが多かった。
 李鴻章は,特に対日関係を憂慮しており,琉球処分を見てからはかなりの危機感を持っていた。海軍力を重視する海防論を主張し,左宗棠の塞防論と論争,淮軍を基盤に北洋艦隊を建設する。朝鮮をめぐって日本と対立,壬午,甲申を経て,日清戦争を戦うことに。主戦論を抑えきれなかった。
 下関条約の際,ピストルで狙撃を受けるが協議を継続。日本の言いなりだったわけではなく,三国干渉の確約を得てから調印するなど粘り強い。虎の子の北洋艦隊を失ったものの,その後も経験人脈を生かして外交に辣腕をふるった。すごい人物。著者も言ってたが,もうちょっともてはやされてもいいかも。74歳での欧米歴訪に,自分の棺桶をもって赴いたエピソードなんて魅力的。
 著者は,中国の歴史では古代とか20世紀に目がいきがちなのを残念がっている。諸葛亮なんかもういいよ,みたいなw。現在の我々との関わりにつながる意味では,李鴻章はもっと存在感があってもいい。
 「弁」の字がちゃんと正字で書かれていたのが印象的だった。「辨別」p.33,「買辦」p.62,「辯論」p.133。 さすが中国史の先生。「辮髪」は出てきそうで出てこなかった。