12月の読書メモ(災害)

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

 太平洋戦争以来の大量死。生き残った人々は増え続ける遺体にどう対応したか。311から一ヶ月間の釜石を舞台に,遺体と関わった人の視点でその状況・心境が綴られるルポ。本読んでて涙が出たのは久しぶり。
 釜石は,市の半分が津波でやられたが,残り半分は無傷だった。そのため外部の人の手ではなく,地元の人々の手で遺体の発見,運搬,管理が行なわれた。戦争末期の艦砲射撃以来の死者数。消防団員,民生委員,市役所職員,医師,歯科医,葬儀社,自衛隊員,海上保安官など様々な人の体験が語られる。
 警察官や消防官はともかく,ふつうの市役所職員は遺体の扱いに慣れてるはずもなく,遺体安置所に派遣されても当初は右往左往するばかり。葬儀社に勤めたことのある民生委員が指揮を買って出て,なんとかやりくり。こういうことって経験が本当に物をいう。
 無理もないが,遺族は相当のショックを受けている。こういうときに普段から死にかかわる職業の人は欠かせない。僧侶が来て読経するだけでどんなに救いになるか。普段はありがたみがわからないが,いざというときには頼りになる。社会を守る大事な仕事なんだろうな。
 遺体の捜索では,余震や放射能のおそれなどで,何度も避難警報が鳴り,その度に作業を中断しなくてはならないもどかしさ。自衛隊員としては警報を無視するわけにもいかない。また,海上保安庁の巡視船上では,市内に住む自分の家族の安否も分からぬ隊員がいる中,海面の捜索。志気をどうたもつか,悩ましい。
 火葬か土葬かという選択も大変だったようだ。火葬炉をフル回転しても遺体の数に追いつかず,身元不明遺体は土葬ということも考慮される。最終的には他県の火葬炉を使用できることになり,土葬はしなくてよくなったが,季節が夏だったらこうはいかなかったのかも。

正しいリスクの伝え方―放射能、風評被害、水、魚、お茶から牛肉まで

正しいリスクの伝え方―放射能、風評被害、水、魚、お茶から牛肉まで

 新聞記者の視点からみたリスクコミュニケーションのあり方。放射能の話題が中心だが,過去の取材経験も活かし,BSEや添加物など,食に関する話題も多く取り上げる。
 メディア情報をより正確・的確にするために,「ニュース・プロファイリング」という手法を提案。記事に入り込むリスク思考のバイアスを分析し,メディア側にフィードバックする。記者の自尊心に訴えつつ,報道の使命を果たしてほしいことを要請し,今後に活かしてもらおうというもの。
 そううまくいくかな?という気もする。ともあれ,本書はかなり公正にリスクを評価しているようで,著者のような記者が増えると良いな。毎日新聞ということで,松永和紀さんとちょっとかぶるが,不思議と言及がなかった。
 柳澤桂子氏の『いのちと放射能』と近藤宗平氏の『人は放射線になぜ弱いか』を読み比べたらしく,後者を評価している(P.35)。放射能の危険を強調する学者は,資本主義文明に批判的な価値観をもっていて,情緒的な記述が多いとの印象は,同感。科学者なんだから,科学で語ってほしい。
 ただやはり感情に動かされる世論というものの存在は大きい。科学的判断を重視するはずの食品安全委員会は「世間の空気」を気にして日和見報告を出したりも(23/3/29放射線物質に関する緊急とりまとめ)。科学的評価と政治的決断はしっかり分けなくては。
 著者が山下俊一氏を絶賛しているのは少し違和感。「山下氏の説明の仕方は本当にうまい。…話し方…表情…人柄…どれもパーフェクトだ。」(P.97) 山下氏の映像は見たことがないのだけど,安全を断言しているとかなり批判されていたのは記憶にある。これはリスクコミュニケーションとしてはむしろ失敗例なのではないだろうか…。

「想定外」を想定せよ!  失敗学からの提言

「想定外」を想定せよ! 失敗学からの提言

 起きてしまった失敗を次に活かすための学問「失敗学」を提唱する著者が,今次震災に際し,対処法を考える。現地調査も行ない,被災地のカラー写真も何点か収録。
 人は見たくないものは見ないし,考えたくないことは考えない。そのために発生頻度が少ないことは起こらないとしてしまいがち。だから「想定」は甘くなりがちで,いざ「想定外」のことが起こると対処できずに途方に暮れてしまう。
「想定」の範囲を決めるにも,起こりうることは起こる,ということを念頭にする必要がある。その上で,「想定外」にも対応できるような的確な判断も求められる。うまくいった「想定」はニュースにならず,なかなか記憶に残らないが,そういう成功例にも目を止めなくてはいけない。例えば,中越地震では走行中の新幹線が初めて脱線したが,この程度で済んだのは,阪神大震災の教訓に学んで補強工事等を済ませていたから。マスコミは失敗が起こるとそれに注目して大きく報道するが,本来はこういう事例にもしっかりと光を当てていくことが望ましい。
 報道等によって大きな災害や失敗は記憶されるが,それがいつまでも持続するものではない。個人の場合は規模によって3日,3月,3年程度で忘れられ,組織では30年,地域や社会でも300年もすれば忘れさられてしまう。失敗はそもそも伝わりにくく風化やすいという特性もある。
 著者はそういう失敗の特性をふまえて対応を考えることが有益ということだが,なんだか抽象的で具体的な対処法はあまり提言されていなかった。「現地・現物・現人」として,現地に赴き,事故にまつわる現物を見て,体験した人に話を聞く,これが基本と強調するが,万人にできるものでもない。
 それに本書は以前刊行されていた本を下敷きに,震災の分を追加して作られた本らしく,ところどころつぎはぎな印象。例えば「本質安全」と「制御安全」の話は,回転ドア事故には似つかわしくても震災・津波とは関連も薄く,浮いた感じがした。ちなみに原発事故の話は触れられてなかった。残念。