昔の読書メモ(メディア・バイアス)

(旧ブログより再録[2008年10月5日(Sun)])

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

 昨年から食を巡る不安が世間を覆っている。毒入餃子はともかく,賞味期限改竄等,本当に大問題なのか疑わしい事実まで,詳細に報道されるのには閉口する。被害者とされる消費者の,最も俗なコメントは「何を信じたらいいのか分からない」であるが,もっと自分の目・鼻・舌を信じたらどうだろうか。
 本書では,食と健康にまつわるものを中心に,世にはびこるニセ科学情報を批判する。環境ホルモン化学物質過敏症マイナスイオン家電・食品添加物バッシング・「昔はよかった」のウソ・自然志向のまやかし…。著者は,農芸化学を専攻し,新聞社に入社,現在はフリーのサイエンスライターとして活躍している。中学生の娘をもつ母ということもあって,子供や母親の不安を煽り,間違った情報で騙す報道には,憤りを持っているようだ。科学記者として,そのような報道に荷担してしまった過去も,いい意味で彼女のバックボーンになっている。
 導入は,怪しい健康情報を取上げるテレビ番組がもたらした,記憶に新しい二つの事件。白インゲン豆ダイエット事件,納豆ダイエット捏造事件である。前者は,「白インゲン豆がダイエットにいい」という正しいかどうかよく分からない情報を知った視聴者が,それを実践したところ健康被害が相次いだ事件。後者は,「納豆がダイエットにいい」というこれまた真偽不明の情報を流した番組が,外国の学者のコメントとして,ありもしない発言を捏造していた事件。大きな社会問題になったが,今も似たような怪しい健康情報はところどころで紹介されている。まったく報道人も視聴者も懲りない。
 このような番組作りの常套手段はこうだ。まず,「○○が体に良い」「××は危険」など分かりやすいテーマをつくる。もちろん,数字をとるためである。特に健康情報は視聴者が飛びつくおいしいテーマだ。そして,そのテーマにとって都合のいい情報だけを取材する。科学論文の一面だけを拾い出し,異端で目立ちたがりの「科学者」の言説を採用するなどして構成すれば,大多数の科学者が疑問を呈す情報も,まるで魔法のようにホントらしくなる。「○○に含まれる△△という成分が…」と,ものものしい物質名を挙げておくのも効果的だ。権威に弱い無知な良民を幻惑し踊らせることができる。このような番組の影響力は絶大で,有名司会者が体にいいとお墨付きを出せば,即日スーパーからその品物が消えるという。
 怪しい科学情報を流しているのはバラエティだけではない。報道も同様だ。「悪いニュースはいいニュース」ということが言われる。何々が怖い,これこれは危険だ,と警鐘を鳴らすのが最も視聴者受けする。キャスターは時々「嫌なニュースばかり入ってくるなかで,今日は久々に明るいニュースがありました。」などとのたまうが,何のことはない,悪いニュースこそ報道機関にとっていいニュースなのである。悪いニュースが好んで取り上げられるだけではなく,報道の内容も人々の恐怖を煽る方向にバイアスがかかる。これはテレビに限らず新聞でも同じだ。
 こういうのを警鐘報道というらしい。いくら科学的に正しい姿勢でも,「…の影響は確認できなかった。」というような否定的で曖昧な情報を流したところで,大衆には関心を持ってもらえない。数字をとるには,人の恐怖を煽って,問題点や解決策を分かりやすい図式で提示するのが一番。解決策が見つからない,どうしよう?というのが最もいいニュースかもしれない。
 報道する側にとって,読者受け,視聴者受けがいいだけがメリットではない。鳴らした警鐘は,誤報であっても報道機関の責任が追及されにくい。「そういう学説があったのは事実」と逃げをうてぱよい。確かにそれは事実だ。また,一時話題になっても,世間は時間が経てば忘れてくれる。過去の警鐘の根拠が科学的に否定されても,訂正報道はしない。そのため,誤報をいまだに信じている人も少なくない。
 報道機関の生態はえげつない。納豆ダイエットのように,少し行き過ぎた捏造事件があれば,他の報道機関はバッシングをする側に回る。同じ穴のムジナなのに厚顔無恥なことだ。よほど明白な不正がない限り,報道機関は表現の自由で保護される。声が大きい者が得をするというのは真理だろう。いかに正論であっても,それを伝えるメディアが弱小であれば,その声は人々には届かず,黙殺されてしまう。
 大衆メディアが抱える構造的問題は,次のようなものだろう。まっとうな科学者の意見は無視し,一部少数の科学者・権威者による,素人受けするセンセーショナルな説のみとりあげて流布させる行為が,メディアにとって有利になる点だ。トンデモ本からNHKニュースまで,程度に差はあってもこの構図は変わらない。報道も事実を写す鏡などではまったくない。与えられた情報を鵜呑みにする視聴者のリテラシー欠如もこの悪循環に大きな役割を果たしている。眉唾な科学情報に,科学者もかつてはあまり異議を唱えてこなかった。そんなものをまともに相手にするのははばかられたのである。しかし今はネット等で積極的に発言する科学者も増えてきているようだ。
 とはいえ,眉唾な話でも権威付けされていれば信じてしまうのは,人間の本能のようなものかもしれない。かくいう私も,マイナスイオンが出るという掃除機を買ってしまった苦い経験がある。誰しも,うまい話に乗せられるのは心地よいものだ。その声に従っていれば,たとえ誤った道を進んだとしても「自分は騙された」と責任転嫁できるマイナスイオンなどはウソでもたいした被害は出ないし,真偽の結着もつけにくい。それを最大限利用してメーカーは売上を伸ばした。これは,資本主義がもたらす不可避の現象なのだろう。消費者の無知はそれに拍車をかける。損をしないためにも賢くありたい。本当に損をしている人は,損をしていることに気づかないのだろうけど。
 最近,環境問題は錦の御旗である。環境にいいと言われれば,エコ商品の購入など,是が非でも行動せざるを得ないような雰囲気がある。しかし,その行動が本当に環境にいいのか,実ははっきりしない。そのような言説で誰が得をしているのかを考えて,行動にはもう少し慎重になってもいいのかもしれない。