11月の読書メモ(医療)

デタラメ健康科学---代替療法・製薬産業・メディアのウソ

デタラメ健康科学---代替療法・製薬産業・メディアのウソ

 健康にまつわるイギリスの擬似科学事情がわかる。どこの国もおんなじで,テレビや新聞等のメディアが,ねじ曲がった「科学」を広めて社会に悪影響を与え続けている。デトックス,脳エクササイズ,化粧品,ホメオパシー,栄養至上主義,サプリメント…。製薬企業のごまかし,不正にも触れる。かなり痛烈にこきおろすので,反感を持ってかたくなになってしまう人もいるかもしれない。だがまだ深入りしていないなら,一読の価値はある。
 脳エクササイズって,頸動脈のすぐ上にある「ブレインボタン」をマッサージすると脳が活性化されるとかいうインチキで,これがイギリスでは公立学校に広まっているのだからすごい。MMRワクチンが自閉症の原因と騒がれて,接種率が大きく低下したことにもびっくり。
 代替医療にはプラセボ効果しかないことが実証されているのに,関係者はそれを認めたがらない。プラセボ効果があるならいいではないか,という声もあるが,標準医療を受ける機会の損失は深刻。何より,代替医療は人体に関する誤った理解を植え付けてしまうのがまずい。誰もが真実を知るべきだ。はっきりと効果があることが分かっているプラセボを,医師が使いたがらないのは,患者に嘘をつかない医療倫理があるから。代替医療家がしているように,聞いて心地良いデタラメを提供してあげることはできない。
 南アフリカに広がるエイズ否定論や抗HIV薬批判には驚いた。エイズなどという病気はでっちあげだと大統領がいたり,エイズに抗HIV薬は効果がなくむしろ毒で,適切な栄養が有効な治療になると主張する保健大臣がいたり。それを吹聴する西洋人がいて,帝国主義以来搾取されてきたアフリカを西洋がさらに食い物にしていると入れ知恵している。当事者が,そういう陰謀論に傾いてしまうのは,無理もないところもあるのかもしれない。
 科学をきちんと伝えるべきメディアがその役割を果たしていない。「噛み砕かなくては」「興味をもってもらわないと」という態度によって,馬鹿げた話,大発見・大発明の話,隠れた脅威の話の三種類しか科学記事にならない。まっとうな科学では,このような種類の結果が出ることは稀で,結局ニュースソースは怪しい科学者か科学者もどきになってしまう。
 科学的・統計学的な手法は,錯覚,直感といった人間の思考の欠点を克服する為に生まれてきた。その人類の成果が多くの人々に届いていない。
 MRSA汚染でっちあげ事件では,警鐘を鳴らしたいメディアが,医療機関からMRSAを検出した博士を英雄に仕立て上げたが,結局その検査はデタラメだったことが発覚して幕を引いた。その「必ず陽性の結果をくれる研究所」の博士に学位を出したのは,ディプロマミルだった。その博士も,さんざんメディアに持ち上げられて使い捨てされたかわいそうな被害者だ。話がどんどん大きくなっていくのを,不器用な彼は止めることができなかった。発覚後,交通事故で死んだ博士が,借金まみれだったという記述は痛々しい。
 舌鋒鋭い著者だが,「最後に一言」で,擬似科学サイドに対して敗北宣言している。受け入れられやすさでは自分に勝ち目がないと。ただもっと多くの科学者がその良識を発信し,既存メディアのいい加減さを暴いていけば,よりよい社会になっていくに違いない。徐々にかもしれないが,期待したい。

ためらいのリアル医療倫理 ?命の価値は等しいか? (生きる技術!叢書)

ためらいのリアル医療倫理 ?命の価値は等しいか? (生きる技術!叢書)

「医者はすべての患者を平等に扱うべし」等の倫理規定を絶対視するのではなく,より現場にフィットした形で考えていこうという好感の持てる本。医療倫理に限らず社会問題を考える上でも示唆に富む。
 医師といえども時間的・空間的に近い関係の人を思うのが当然であり,そのことを無視して理想論を言っても仕方ない。そういう制約の中で,患者をそれなりに平等に扱うように,なんとかやりくりしていこう。なるほど実に現実的だ。大きな病気をしたら,こういう医者に診てもらいたいかも。「仁術」としての医療に関して語られる,医者にとっても患者にとってもためにならないうわべだけのきれいごとを排除していく。「患者の気持ちがわかる医者になる」なんてまず無理だ,と著者は言う。患者の気持ちがわかると思ってる医者は,その時点で自分を上位に位置づけており自己矛盾を来している。
 著者の著作に通底するのは,徹底した二元論の否定,価値相対主義。死の定義が次第に変遷していったように,文化や社会的合意が境界を決める一つの基準になることはある。しかし,脳死を死と認めるか否の選択が個人にゆだねられているように,グレーゾーンは常にある。著者がロールモデルとする内田樹の影響が色濃く出ている。「理路」などの内田用語も頻出。本書のタイトルも,内田樹のデビュー作『ためらいの倫理学』をふまえたものだという(p.203)。ちなみに「醸成」のことを「醸造」(p.161他)というのは内田先生も使ってなかったと思うけど。
 喫煙と健康,延命と苦痛の緩和,すべてはトレードオフで,何を重視するかは個人個人さまざま。また他人の事情をすべて理解し推し量ることもできない。だから医師は患者の価値観を尊重し,「ためらい」ながら対峙する。ただ,医師が懇切な説明を心がけても,患者に完全には届かない。理解力不足の患者もいるだろう。あまり患者の価値観を尊重しすぎるのは,代替医療などに付け込まれる隙を与えている気もする。かといって,権威主義的な医者のほうがいいわけでないし,そんなことをすれば患者は逃げて行ってしまう。なんとも難しい問題だ…。

増補 iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書)

増補 iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書)

 ちょうど4年前,京大の山中教授がヒトの皮膚からiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り出したというニュースが駆け巡った。本書はそれを受けて3年半前に書かれた本に,最新事情を増補したもの。iPS細胞研究について一通りの基礎知識が学べる
 以前は再生医療のためにES細胞が注目されていたが,倫理的・生物学的理由から,制約があった。iPS細胞によれば,これらの制約は克服できる。
 ES細胞(胚性多能性幹細胞)は,受精卵が桑実胚を経て栄養外胚葉と内部細胞塊に分かれる胚盤胞の段階で,内部細胞塊を取り出して培養することで作られる。その過程で生命の萌芽である胚を破壊することになるので,倫理的な問題を抱えている。それと,移植される人にとってES細胞は他人なので,拒絶反応の問題も
 自分と異なる形態・機能の細胞を作り出せる細胞を幹細胞といって,自分のコピーと幹細胞でない細胞に不等分裂する。どの程度多様に分化可能かは,幹細胞によって違っていて,万能(受精卵),多能(ES細胞・iPS細胞等),多分化能(神経幹細胞・造血幹細胞等),単能(皮膚等の幹細胞)のように分けられるそうだ。多能性幹細胞は,胎盤や羊膜などの母体と胎児を繋ぐ組織以外のあらゆる組織に分化する能力をもっている。原理的にはどんな臓器でも,「山中ファクター」で自分の細胞から作ったiPS細胞を分化させることで,新たに得ることができる。
 癌化しやすいなど,実用化はまだ遠いようだが,iPS細胞の研究は競争が熾烈で,特許も重要という。終章「”知”がヒトを変えていく」はプチ科学論といった趣き。遺伝子操作というと,「生命をもてあそんでいる」と嫌悪感をもつ人がいるが,研究者たちは慎重に配慮しつつ研究を行なっているようだ。
 増補分にちょっとしょうもない誤植が…。「ファミリー遺伝子(幸三・昨日の類似する遺伝子)」(p.249)って,何かと思ったよ…。