10月の読書メモ(ディズニー)

ディズニーの魔法 (新潮新書)

ディズニーの魔法 (新潮新書)

 著者は早稲田のメディア論の先生。以前(震災より前),『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』を読んで,著者の緻密な分析に感心したが,ディスニー本もいろいろ書いてるらしくて驚いた。
 本書は,今や原作より身近なディスニークラシックスの数々を,元になった童話と引き比べ,ディズニーが何を目的に,どのように作り変えたのかを探っていく。白雪姫,ピノキオ,シンデレラ,眠れる森の美女,リトル・マーメイド,美女と野獣。結構深くて目からウロコ。
 これらの映画の原作には,復讐物語が多く,残酷でグロテスク,倒錯的な要素があからさま。民衆が心の奥に持っていた暗い情念が色濃く反映されている。それをディズニーは毒抜きし,「アメリカの民話」にリメイク。優れたアニメーションで子供やカップルが安心して楽しめるようにした。
 原作の白雪姫はホラー・メルヘン。白雪はいったん死んで生き返ったゾンビであり,王子はネクロフィリア。のこのこ結婚式にやってきた后への復讐も怖い。ディズニーはこれを純愛物語にすべく,二人が最初に出会っていたことにして,復讐劇はカットした。小人たちも親しみやすいキャラに。
 ピノキオは原作では残酷ファンタジー。最初のころにコオロギはピノキオに殺されるし,ロバにされたピノッキオは皮を剥がれて太鼓にされそうになる。原作者コッローディは,人間というものは,痛い目に遭うまで自身のわがまま,愚かさに気付かない頑迷な動物だということを表現していた。それをディズニーはアメリカ的功利主義で別の物語にした。様々な困難に出会い,紆余曲折があって,人間の子供にしてもらえる。正しい心と行ないが,成功へと導く。コオロギもピノキオの良心としての役割を全うしたら,金のバッジがもらえる。原作の中心は厳罰だったが,御褒美をもらえる話に。
 他の物語も似たり寄ったりの大幅な改変を受けている。細部の蘊蓄も面白い。シンデレラでは,かなりの部分を猫のルシファーと鼠たちのドタバタが占めるが,これは当時人気のアニメトムとジェリー」からぱくったものだとか。
 眠れる森の美女の原作ラストはすごい。オーロラの姑になった皇太后は食人鬼で,嫁のオーロラと孫が食べたくて仕方ない。王の不在に思いを遂げようと大桶に蛙やマムシを入れてそこへ嫁と孫を放り込もうとするが,王の帰還で錯乱し,自らが大桶に身を投げ,たちまち喰い尽くされてしまう…。
美女と野獣」では,原作とディズニー版とでベルと野獣の役割が逆になっている。原作では試練に遭いながら成長するのはベルの方で,野獣は最初から最後まで物静かな紳士然としてる(見た目は野獣だが)。ディズニー版は粗野な振る舞いで魔法をかけられた野獣が,人間の心を獲得していく物語。
 特に白雪姫やピノキオなどの古いクラシックス作品は,原作の物語も良く知っている当時の人々を対象に作られた。後にこの作品に触れる,原作を知らない観客は,十分に楽しめていないとも言える。元になった物語がどうリメイクされたか,その面白さも知ってほしいと著者は訴える。
 確かにそうだなあ。ディズニー最初の長編アニメ,白雪姫なんかはあの大数学者ゲーデルも感銘を受けて何度も見た,というエピソードをどこかで読んだ。今の映画なら世界での上映が想定されてるけど,昔はこんな何十年も後にまで,極東の人々にまで親しまれるとは思ってもなかっただろうな

ディズニーランドの秘密 (新潮新書)

ディズニーランドの秘密 (新潮新書)

 ディズニーランドは,ウォルトが人生の最後を賭けてつくった。古き良きアメリカの交通機関とそれに付随する街並みを再現し,アメリカ人にノスタルジーを感じてもらうためのテーマパークだった。日本やパリや香港にディズニーランドが作られようとは,ウォルトにとってはまったく想定外。コンセプトからして,外国人向けではなかった。
 ウォルトは祖父がアイルランドからの移民で,祖父の代,父の代とアメリカ中を転々と流浪してきた。その生活には蒸気船と汽車がいつもそばにいた。ディズニー家に限らず,多くのアメリカ人は,19世紀後半から20世紀初頭にかけて,仕事を求めて各地をまわった家族の記憶を持つ。つらいことも多いが,夢もあった。鉄道と船で新天地を求めて旅をした。その思い出を,皆で共有したい,というのがディズニーランドのコンセプトだった。
 ウォルトの死後に作られたアトラクションも,その思想を受け継いでいる。ホーンテッドマンションニューオリンズの街並みをモデルにした,フランス風の建築。ニューオリンズは元はフランスの植民地で,蒸気船による河川交通の要衝だった。
 トゥモローランドに代表されるように,ディズニーランドには未来や科学技術もテーマにしている。初期には,軍事産業との結びつきも隠されることなく,前面に出ていた。サブマリンヴォヤッジは原子力潜水艦,ムーンライナーは月へのロケットすなわちミサイル技術の展示だった。
 長いパークの歴史では,その「未来」を現実が追い越すこともあった。1957年10月にはソ連スプートニクを打ち上げる。大陸間弾道弾を先に持たれてしまい,アメリカはミサイルギャップにおののいた。その後アメリカもICBMを配備,1969年にはアポロ11号が月に人類を運ぶ。
 スプラッシュマウンテンに関する蘊蓄も興味深い。これは日本ではほとんど知られていないアメリカ民話リーマスおじさん』にちなんだアトラクション。ディズニーはこの民話を『南部の唄』として映画にリメイクしたのだが人種描写が政治的に正しくなくて,それほど広まらなかった。『南部の唄』は日本でもスプラッシュマウンテンの導入に際してビデオ販売されたが,その後絶版。多くの日本人が,単なるコースターとして楽しむしかなくなっている。著者は,知識とストーリーによって,テーマパークの理解と受容も多層的で豊かになると言う。少々エリート臭がするが…。

 ウォルト・ディズニーの伝記と二十世紀アメリカの映像メディア史が綯い交ぜになったような感じ。ウォルトの情熱と強運が印象的。彼にとっては大恐慌も第二次大戦もライバルたちと差をつけるのに有利にはたらいた。
 白雪姫までアニメといえば数分の短編で,長編実写映画の前座として上映されてた。制作費は買い叩かれ,労働集約型の厳しい産業だった。質を落としがちな同業者に対して,ウォルトは人件費に投資し,高品質なアニメを目指した。その象徴がミッキーマウスだ。最初は無視されるもヒットすると,一躍引く手数多に。
 ディズニーブランドはいまでも「子供にも安心して見せられる」だが,これはウォルトの厳格な性格に由来する。潔癖な彼は,性的な冗談や退廃を嫌い,自分の作品からもそういったものを排除した。それが戦争前後の時代にマッチして,ライバルのやや退廃的なアニメ表現が検閲で苦戦するのを尻目に売上を伸ばしていく。
 ただ,成功ばかりでもなかった。ピノキオなどでは当初大きく損を出したし,労組との激しい角逐もあった。ウォルトは労組を嫌悪し,戦後になって共産主義の脅威が顕在化すると,徹底的に弾圧。反共の英雄として賞賛もされる
 戦後は,実写映画にも手を出し,独自の配給会社も設立。晩年の十年は周囲の反対を押し切って,ディズニーランドを実現させる。これはウォルトの純粋な情熱によって強行されたプロジェクトで,誰もが失敗すると思ってたらしい。でもマイホーム,郊外化,総中流化,モータリゼーションが開園前に急速に進み,ディズニーランドをビジネスとして成立させる条件が幸運にも出揃った。
 ほんとにウォルトは強運の持ち主だ。実業家というのは,結局後から見て成功不成功がわかるもので,成功の秘訣というのは事前にはわからないんじゃないかという思いを強くした。もちろん情熱は必要条件だろうが…。
 最後に有馬先生にちょっとダメ出し。『ドラえもん』を『ドラエモン』って表記するのはどうかと。それも再三。日本でメディア論をやってるのに何故まちがえるんだろ?校閲も気づけよ…。