10月の読書メモ(科学と社会)

 表面的な報道によって,食に関する誤解が広まっている。地産地消,農薬,化学肥料,肉食・食品廃棄,農業のエネルギー消費,有機農業,遺伝子組換…。多くの話題について誤解を正す良書。
「フードマイル」なんて言葉が流行って地産地消がもてはやされるが,実は輸送の形態や燃料効率で一概に論じられない。1トンの貨物を1キロ運ぶのに,飛行機5291kcal,トラック699kcal,鉄道116kcal,内航貨物船67kcal,外航コンテナ船23kcalとさまざま。
 有機栽培は合成化学物質の避けて環境負荷が低そうだが,害虫ネットやビニール等の資材はより多く使用する。重量の重い堆肥を運搬するにも化石燃料が多くいる。国産小麦(北海道)も,北米産より水分含有量が多く,乾燥に燃料が必要で,トータルのCO2排出量は変らなかったりする。
 一面的な報道が醸し出す一般消費者の持つイメージは,虚像に彩られてる。農薬も嫌われ者で無農薬栽培が好意的に報じられるが,それにかかる労力は並大抵でない。自然を礼賛しても,そもそも農業は不自然なもの。一万年の歴史で毒などのサバイバルツールを人為的に除去して作物を作ってきた。農地は,おいしくて弱い餌が広々とした土地に並んでいる状態。農薬のおかげで,極めて効率的に農業ができるようになった。昔の農薬は食糧増産を目的に比較的毒性の高いものが使われたが,近年の農薬は格段に改良された。科学的でない減農薬は無登録農薬資材など別のリスクをもたらす場合も。
 食べ残しなどを堆肥にしようという食品リサイクル。現場からは「畑をごみ捨て場にするな」という声が。塩分濃度が高く,品質も安定しない食品廃棄物は堆肥として適切に使用できないケースが多い。まず考えるべきは,廃棄量の削減であり,リサイクルされるからと安易に捨て続けるのはまずい。
 農薬の削減によって,機械除草を余儀なくされ,燃料によるエネルギー消費が増大している。環境とのトレードオフは報じられない。農薬,化学肥料,遺伝子組換,抗生物質などを頭から否定する有機農業の姿勢はまったく科学的でない。生産者も知っているが消費者の選好には逆らえない…。
 BSE騒ぎでは,「それ見たことか,共食いをさせるなんて,そんなことが起きて当然だ」等と言われた。しかしそれは後付けでしかない。「自然の摂理に反する」等と感情面から考えるのでは本質を見誤る。そもそも農業自体が自然の摂理に反しているのだし,もっと現実的・科学的な眼が必要。
 遺伝子組換作物に対する忌避感から,日本では栽培がされていないが,食用油や飼料の形で,遺伝子組換食品は日本の食卓にも上っている。安全性が確認されてないとか言われるが,通常の作物の方がよほど確認されてない。通常作物に組換作物のような厳密な試験が課されているわけでもない。
 組換作物反対派は,よく「巨大企業にしか開発できず,作物が一部の企業に牛耳られる」と指弾するが,反対のせいで多くの安全性試験が課され,体力のある巨大企業にしか扱えなくなっているのが実情。まさにマッチポンプだな…。「不自然だから何か起きるかも」というのは根拠がない。組換作物開発企業は,反対感情の強い日本にすぐに種子を売ろうとは考えていない。市場も小さいし。困難なリスクコミュニケーションをするメリットはない。それにも関わらず,自治体等では規制を始めており,研究さえできない状態に陥っている。
 結局のところ,原発問題と同じで,食の問題も一面的な報道・素朴な感情論が,人々の目を曇らせているのだな…。著者などが何年も前から口を酸っぱくして言ってきているのに,望ましい状態に近付いているとはあまり言えない。これは長丁場になりそうだ…。

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

 アリやミツバチなどの真社会性動物を観察して得られる知見は,人間社会における個人と集団の関係を考える上でも示唆に富む。もちろんハチやアリには司令塔がいないなど,違いもあるが,社会性動物もすごく良くできた仕組みで集団の維持を図っている。
 アリの社会には指揮命令系統がなく,アリには上司がいないのになぜうまく集団の仕事が回ってるのか。なんとこれを解く鍵は,多くの働きアリが,実は働かずに休んでいるという事実にある。きれい好きの人が最初に片付けを始めるように,アリにも刺戟に対する反応の感度に個体差があり,よく働いているアリは仕事の要求にすぐ反応してしまう。そうでもないアリは,仕事が多くてよく働くアリだけでは手が足りなくなってから働き始める。全部がよく働くアリではこううまくいかず,必要な時に必要な数のワーカーを動員できなくなってしまう。普段は仕事をせずに遊んでいるアリがいることが,突発的な仕事の需要に柔軟に対応する余裕になって,集団を連綿と続けることが可能になるのだ。なるほど!いろいろと示唆的だ…。
 この分野の主たる研究手法である観察はものすごく根気のいる作業。科学一般でも,すぐ役に立たない基礎研究も非効率というのではなく,働かないアリと同様に不測の事態に備える体制を整えてく上で,大変重要と著者は主張。こりゃとても説得力がある。社会やシステムに遊びって必要だよね。

スキャンダルの科学史 (朝日選書)

スキャンダルの科学史 (朝日選書)

 戦前戦後の日本科学史における数々の醜聞を紹介。
 長岡半太郎の水銀還金事件を知りたくて読んだのだが,ほかにも千里眼事件,脚気「菌」騒動,男女産み分け,ルイセンコ説,和田移植,古畑血液鑑定…など満載。
 野口英世の黄熱病「菌」発見では,発見した黄熱病菌からワクチンを作って接種していたようだが,それが効くものでなかったことを自らの死で証明してしまった感じでかわいそう。ウィルスというものが発見されてなかった当時,何でも細菌による感染症に見えてしまったのだろう。
 脚気騒動にみられるように,真の原因が不明の場合,疫学的手法が非常に有効なのだが,そのことも昔は重視されてなかった。そういう歴史があって今がある。ほんとうに有難いことだ。僕たちはもっと先人に感謝しなくてはならないと思う。
 1987年からの雑誌『科学朝日』の連載がもとになってるらしく,文章がやや古くて読みやすさはいまいち。執筆者も昔の人,と言う感じで妙な記述も。例えば千里眼事件の解説で,「透視は絶対不可能とは言い切れない,念写は多少の疑義を挟まずに居られない」とした当時の総括から,「現在でも透視および念写については、あまり進展しているようには思われない」(p.36)と書いてるあたり。科学なんだから,証拠のない怪しいものの実在を仮定することもないだろう。
 理系の帝大教授が何でも銀に変換してしまうという老人に入門し,なかなか詐術を見破れなかった万有還銀事件などもあったが,この教授がそんなにトンデモという印象でもない。今と比べると大正時代に得られていた知識は乏しいし,現代のトンデモ教授のほうがよほどスキャンダルだよな…。