10月の読書メモ(歴史・古典)

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

 ルドルフ一世からエリザベートまで。ハプスブルク家の歴史650年を,名画とともに巡る旅。大空位時代の後の神聖ローマ皇帝を,選帝侯の意のままになると思われたルドルフが継いだのが発端。
 ルドルフ一世の奮闘に,警戒した選帝侯たちはさすがに息子への皇位継承を阻止。しかし壮絶な皇帝位争いを経て,150年後には安定的に神聖ローマ皇帝ハプスブルク家世襲に。その中興の祖がマクシミリアン一世。「戦争は他の者にまかせるがいい,オーストリアよ,汝は結婚すべし」を実践。
 マクシミリアンの息子フィリップ美公はフアナをめとる。アラゴン王フェルナンドとカスティーリア女王イザベルの娘だ。レコンキスタ後に両国の君主が結婚,スペイン王国が誕生していた。しかしフィリップは複雑な家族間の政争の末,怪死を遂げる。夫恋しさに,フアナは精神に異常を来す。しかしフアナの息子,カール五世は16世紀半ば,ハプスブルク最盛期を作り上げる。母方からスペイン王位を受け継いで,カルロス一世としてスペインにも君臨した。退位に際しては,スペイン王位は息子フェリペ二世に,神聖ローマ皇帝は弟のフェルナンド一世に,平和裏に継承させる。
 ハプスブルク家スペイン系とオーストリア系に分れた。分割しないですべて息子に継がせたらかなりの血を見たのかもしれない。分割当時は大航海時代,スペインは日の登る勢いだったが次第に没落。1700年にはカルロス二世(フェリペ二世の曾孫)の死でスペイン・ハプスブルク家は終焉。カルロス二世に後継ぎはなく,13年にわたるスペイン継承戦争の末にフランス・ブルボン家がスペインの王冠を手にした。世界語スペイン語も,フランス語に取って代わられた。
 これを挟んでハプスブルク家ブルボン家とは長年宿敵の関係にあったが,18世紀に転機が訪れる。それはプロシアの台頭によってもたらされた。皇帝カール六世が男子なく死んで,マリア・テレジアが後を継ぐ(皇帝位は夫)が,これに異を唱えたのがフリードリヒ大王だった。若き日に父親から「軟弱者」として処刑までされそうになったフリードリヒ二世が,強大な君主に成長していた。
 このオーストリア継承戦争で,マリア・テレジアは豊かなシュレジェン地方をプロシアに取られてしまう。その後プロシアがイギリスと結んだため,敵の敵は味方ということで,フランスとオーストリアは急接近。それで末娘マリーアントワネットの輿入れということに。
 この本には数々の絵が載っているが,ひときわ印象的なのが,ヴィンターハルターの「エリザベート皇后」。オーストリア帝国実質最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの妻の肖像。本当に,目の覚めるような美貌。すでに写真もあった時代で,美化して描かれたものでないことは証明済み。
 その美しさも印象的だが,やはりその後の彼女の悲劇のエピソードがこの絵をより印象深いものにしてる。姉の見合いについていったばかりに皇帝に見染められ,それも束の間,厳しい規則,姑との激しい確執にさいなまれる。初めての子である二歳の娘を連れて旅行中,病死させてしまい,以後の子供はすべて姑ゾフィーに奪われてしまう。窮屈な宮廷を嫌って各地を放浪。皇太子であった息子ルドルフは,自由主義に傾倒して父から批判され,不可解な情死を遂げる。そして最後に自身は,無政府主義者に暗殺されてしまう。二人は結婚すべきでなかった。悲しい人生だ…。
 著者の本は、以前『名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語』も読んだ。
 ハプスブルグのフランツ・ヨーゼフは在位68年だそうだが,ブルボンのルイ十四世は72年。両者ともすごい。昭和天皇の62年もすごいけど。これってベスト3なのかな?と思って少し調べたら,どうもこんな感じ。
 ルイ十四世72年,フランツ・ヨーゼフ68年,ビクトリア女王63年,昭和天皇62年,康熙帝61年,乾隆帝60年

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

 人生に成功した晩年に書かれた自伝で,ちょっと自慢が鼻につく感じ。でも幼少期から合理的思考ができる少年だったようで,稲荷様の御神体を石に置換えて,拝む人を小馬鹿にするエピソードは面白い。
 二十歳で蘭学を志して長崎に遊学。のち大阪の緒方洪庵のもとへ。兄の死で家督を継ぐが,母に頼み込んで江戸へ出て,英学を志す。咸臨丸にて渡米,遣欧使節の一行に加わり,さらに再び渡米。塾の名を慶応義塾と改め,『学問のすすめ』等数々の著作をものした。時事新報も発行。
 自伝に垣間見える自慢はいろいろ。最初の渡米のとき,あちこち見て回るが,科学は分かるが社会がわからなかったそう。科学技術に関しては,渡米前にいろいろ英書で知っていたからと言うが,やはり実物を見たら驚きそうなもの。でも少しも驚かないとか書いている。ほんとかねぇ。
 それから帰国した時に,桜田門外の変の直後だったようで友人から大変なことがあったと言われ,「水戸の浪人が井伊様の屋敷にあばれ込んだというようなこと」だろうと当てて見せた話。天下の治安というもはおおよそわかるのだと豪語しているが,どうもうさんくさい。
 でも自分の欠点についてもちゃんと書いてはいる。まず酒。幼少のころから酒に目がなく,悪いことや不養生もしたそうだ。後年禁酒しようとして,代わりに煙草を始め,結局酒も止められずに健康を損なったとしている。
 それと,血が怖いこと。小さい時から威勢のいい大言壮語はするのだが,生き物を殺すことや人の血を見ることが大嫌いだという。行き倒れや変死人はどうしても見ることができない。ロシアで外科手術を見たときは気が遠くなって介抱されたとか。武士なのに…。
 諭吉には子が九人もあったようで,子育てのことも書いてあった。「しつけ方は温和と活発を中心に」「たいていのところまでは子どもの自由に任せる」「ひどく剛情をはるようなことがあれば、厳しい顔色でにらむくらいが頂上で…手を出して打ったことは一度もない」p.234
「家の中に秘密事なしというのが私の家の家風」p.235「もっぱら身体の方を大事にして、幼少のころから強いて読書などさせない」p.236
おっ,なかなかいいこと言っている。今でも通用する。ただ当時は子供すぐ死んじゃうから,体を大事にってのはホントに大事だったんだろうな。
 自伝にはなかったが,諭吉といえば,明治五年末の太陽暦への改暦にあたり『改暦辨』をわずか六時間で執筆したエピソードが気に入っている。旧暦の非合理,太陽暦の有利を説いた。「此改暦を怪む人ハ必ず無学文盲の馬鹿者なり」とか「文盲人の不便ハ気の毒ながら顧るに暇あらず」とかすごく偉そう。でも内容は確か。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 超有名な本の口語訳。はじめて読んだ。 「天は人の上に人を造らず」という名文句があるが,これは別に個人尊重,人権重視ってわけでないのがよくわかる。
 やはり近代化に重要な役割を果たした人だけあって,まず「国家」ありきで,国家に役立つ個人を目指せ!ということが縷々述べられている。 学問がなく食って寝るしか芸のないダメ人間の子孫が繁栄しようものなら国家に害をなす,とか断言しちゃう(p.32)。下々がそんな人間ばかりでは,政府も専制政治をしかざるを得ないから,国民みんなが学問をし,独立の気概をもって力を合わせ,一流の国をつくっていかなくてはいけないということ。
 う〜ん,坂の上には雲が…。 福翁が,最近の原発を巡るゴタゴタを見たら,嘆息しきりだろうな…