ゲーデルとアインシュタイン

(旧ブログより再録[2008年08月 8日(Fri)])
 このところ,ゲーデルアインシュタインにのめり込んでいる。二十世紀前半の自然科学に革命をもたらした点で,この二人の右に出る者はいない。同時代人である彼らは,戦間期の不安定な世界情勢のなか,ドイツ圏からアメリカに亡命する。そして同時期の他の多くの科学者と同様,プリンストンで研究生活を送った。親子ほども年齢が違い,人好きのするアインシュタイン,内向的なゲーデルと性格も異なる二人だが,よき友人だったという。アインシュタインの重力方程式の一つの解を,ゲーデルが求めたりもしている。アインシュタインは数学が苦手で,一般相対論の構築に必要な微分幾何学も,友人グロスマンの協力を得て苦労して身につけたほどだが,これも数学・論理学が専門のゲーデルと対照的である。
 ゲーデルの仕事については,前回簡単に触れた。実は不完全性定理には,二つの内容があって,前回のはこのうちの一方である。もう一方の第二不完全性定理もそのうち勉強してとりあげてみたい。
 アインシュタインといえば,相対性理論である。これは一言で言うと,時間と空間の概念に大変革をもたらす理論で,特殊相対論と一般相対論の二つがある。従来,空間と時間は全く独立したものとしてとらえられていた。力学であれば,空間という舞台で,物体が時間的にどう運動するかを考えていたのであり,空間と時間は切り離されていた。
 しかし特殊相対性理論によれば,空間と時間の枠組は,相対移動する観測者ごとに異なっている。二つの事件がある人にとっては同時刻でも,別の人には異なる時刻であったり,二点間の距離が人によって異なっていたりする。三次元の空間+一次元の時間と考えられていた力学の枠組は,四次元時空として再解釈される。万人に共通な絶対時間や絶対空間は否定された。同一の事象に対しても,観測者によって異なる空間座標と時間座標が与えられる。座標が異なるとはいっても,観測者ごとに全くでたらめというわけではなく,もちろん座標変換が可能である。しかし,それは直感に合致するガリレイ変換ではなく,時間と空間が相互に入乱れるローレンツ変換である。
 一般相対性理論になると,さらにこの時空が歪むとされる。三次元の空間が歪むというならまだ分かりやすいが,四次元の時空が歪むのである。そして,この歪んだ時空が重力を生み出す。というより,重力場とは,実は時空の歪みのことであった。歪んだ時空に物質(質量)があるときに,重力がはたらく。それでは,時空はどうして歪むのか。物質(質量)の存在によって歪むのである。この関係を表すのが,アインシュタインの重力方程式だ。物質が時空構造を決め,時空構造が物質にはたらく重力を決める。このように,物質と時空は相互依存的である。絶対時間,絶対空間という固定観念から,アインシュタインはほぼ独力でここまでたどり着いた。この大変革は十年あまりのうちに成し遂げられ,まもなく観測により実証されていく。
 相対性理論には,日常の感覚からは思いも寄らない,常識はずれなところがある。光速に近いほどの高速度,とても強い重力,あるいはそうでなくても非常に厳密な観測,などの異常な場面になって,はじめて意味をもつ理論だから無理もない。日常経験するような事象は,ニュートン力学やマクスウェルの電磁気学がほぼ完璧に説明してくれる。相対性理論は,これら先行の理論を修正し,それを含む形で,適用範囲を前述のような異常な場面にまで広げた。つまり一般化したのである。このような理論が,光速度不変の原理,相対性原理,そして等価原理という僅か三つのシンプルな前提から紡ぎ出されたことは,まさに驚異というほかない。自然科学の美しさを,この相対性理論にもっとも強く感じる。
 相対性理論からはいくつもの奇妙な現象が予言される。速度の合成が単純な足し算にならない。運動する物体の時間はゆっくり進み,長さは縮む。物体は光速に近づくにつれ質量が急増し,どんなに加速しても決して光速を超えられない。全ての物体は質量に比例する厖大な静止エネルギーをもつ。これらはみな特殊相対論の帰結である。最後の事実,質量とエネルギーの等価性が,この時季の日本報道界の風物詩―原爆―に関係が深いことは,周知のとおりである。一般相対論からは,重力による光の彎曲,時間の遅れが導かれ,ブラックホール重力波の存在が予言される。宇宙を論じるのにこの理論は欠かすことができない。
 これから先,ゲーデルアインシュタインに匹敵する巨人は二度と現れないような気がする。二十世紀と二十一世紀では事情がまるで異なる。百年とは長い時間である。科学はますます専門化を深め,新発見があっても,その影響力は狭い範囲に限定される。人類の自然観を根柢から覆すという事業はもはや残されていないように思う。