読書メモ(銃・病原菌・鉄)

銃・病原菌・鉄 上下巻セット

銃・病原菌・鉄 上下巻セット

 これは…,とんでもなく良い本。この日記では,特に感銘を受けた本は独立のエントリにしているが(宇宙創成暗号解読),これも文句なしに仲間入り。未読の方は是非御一読を。出版されてから十年も経ってから読んだけど目から鱗,もっと早く読めばよかった…。
 なぜ西洋文明が他の文明を駆逐して,現在地球上に君臨しているのか,それを様々の知見をもとに解き明かしていく。
ともすれば,「西洋人が非西洋人よりも人間としての能力が優れていたために,人類と文明は知られているような歴史をたどったのだ」等と考えてしまうが,著者はそれを徹底的に否定。真の原因は,「地理的な環境の差異」である。それを上下巻計600ページ以上かけて丁寧に検証していく。
 大部分が中緯度に位置し,東西に大きいユーラシア大陸の地理的条件は,食糧の生産,大型動物の家畜化に適していた。そのため,他の大陸に先駆けて定住生活・人口の稠密化が始まり,複雑な社会が形成され,技術が発展した。このことが,その後の歴史を分けた。
 銃という武器,鉄という技術に加えて,病原菌の役割も大きかった。天然痘,麻疹,インフルエンザ,ペスト,結核チフスコレラなどの疫病は,もともと家畜の病気が,人間にうつるようになったものだ。多種の家畜とともに長く生きてきたヨーロッパ人は,黒死病等たびたび人口も激減したが,生き残った者が命を繋ぎ,伝染病への免疫を身に着けてきた。そういう疫病がほぼ皆無だった新大陸の人々は,新たな病原菌にひとたまりもなくバタバタと倒れていった。それが,ピサロやコルテスがインカやアステカをごく少人数で征服できた秘訣だった。
 新大陸では農耕は独自に始まっていたが,大型動物の家畜化がリャマとアルパカのみだった。新大陸で家畜化が進まなかったのは,家畜化に適した大型哺乳類が,更新世末期に絶滅してしまっていたから。家畜化のためには,気性が穏やか,餌の入手が容易,成長が速い,飼育下でも繁殖可能,序列のある集団を形成する,といった条件が有利であり,これらを満たす大型哺乳類は,ユーラシア大陸に多く(十三種),他の大陸では少なかった。アフリカ大陸にも多くの大型哺乳類がいるが(ライオン,象,ガゼル,チーター,水牛など),家畜化されることはなかった。
 小型動物である犬や兎,鶏,七面鳥,モルモットなどは各地で飼育されていたが,このような小型の動物には,使役して食糧生産に活用するなどの用途が存在せず,文明への寄与は乏しかった。大型哺乳類の家畜化が,ユーラシア大陸で顕著に起こったのは,ひとえに与えられた環境による。住んでいた人々の資質とはまったく無関係である。このことは,家畜化の手法がユーラシア大陸から他の地域に伝えられると,速やかにその地に根付いて活用されたという歴史が証明している。食糧生産も同様であり,ユーラシア大陸は栽培化可能な植物に富んでいたため,いち早く農耕が始まり,他の大陸へのアドバンテージとなった。
 食糧生産の開始は,新大陸のトウモロコシ,ポリネシアタロイモなど各地で独立して始まったと考えられている。しかしそれが多種にわたり,さらに家畜との併用で生産が拡大し,稠密な人口を支えて複雑な社会を発展させたのは,ユーラシア大陸においてだった。
 植物の栽培化も動物の家畜化も,意識的・無意識的に人の手によってより有用な変種が選び取られ,より扱いやすく有益なものに変化していく過程である。いわゆる人為淘汰だ。そして栽培化や家畜化のタイムラグは,その後取り返すことのできない格差をもたらした
 栽培化,家畜化は,独自に始めるよりも,その地に適している限りにおいて,先行例に学んで導入されることの方が容易い。言語や技術もそうであり,そのすべてで先んじていたユーラシア大陸の文明が,隣接地域へ伝播していくという流れがメインになる。
 それではなぜ他の大陸でなく,ユーラシアだったのか。その答えも単純だ。ユーラシア大陸が,東西に広い陸塊で,地理的障壁もそれほど多くなかったから。同緯度の気候はだいたい似通っており,栽培化された作物も,家畜化された動物も,伝播しやすかった。
 アフリカやアメリカなど,南北に大きな陸塊では,こうはいかない。緯度の違いで気候も植生も変化するため,作物・家畜が南北方向に伝わっていくことは難しかった。砂漠や山脈・地峡など,地域を分断する障壁も,ユーラシア以外の大陸では文明の伝播を妨げた。
 そのために,ヨーロッパ人がたどりつく前のアメリカ・アフリカ・オーストラリアでは,小規模な社会が互いの交流もほとんどないまま孤立して存在している状況だった。インカやアステカの帝国も形成されたが,文字をもたず,西洋文明には較ぶべくもなかった。
 以上のような考察に,ポリネシアの島々の文化の研究がとても参考になっている。ポリネシアへ人類が伝播したのは比較的新しく,紀元前2000年ころから,東南アジアや中国南部からカヌーに乗って人々が広がっていた。この事実は,言語学的考察によっても裏付けられている。島々の環境は様々であり,食糧生産の技術をもっていた人々が,たどりついた島によってはそれを放棄し,狩猟採集の生活に逆戻りしたり,大きな島では,ニュージーランドマオリのように,複雑な社会を形成したりしている。歴史学で実験はできないが,こういう実例が非常に役立つこともある。
 最後に,ユーラシア大陸のなかでも,なぜヨーロッパだったのか?という当然出てくる疑問に著者は答えている。食糧生産も,家畜化も,最初に導入されたのは,現在の中東にあたる肥沃三日月地帯であるがなぜここではなかったか。またなぜ中華帝国でもなかったのだろうか。
 まず,資源の問題が肥沃三日月地帯を没落させた。人間による木材等の資源消費に自然の蓄積スピードが追い付かず,土地が放棄された結果である。ヨーロッパはより湿潤で,産業革命前までに自然が文明を支えることができたのが幸いした。
 そして中国。皮肉にも統一国家の存在が技術の進展を妨げたという。西洋諸国による大航海時代が到来する前,明は大艦隊を組織してアフリカまで到達するほどの技術を誇っていた。これが,権力闘争に起因するたった一つの決定によって中止になり,その後の継承が途絶えてしまった。統一国家が存在しなかったヨーロッパでは,各国が覇を競い,その過程で銃や艦隊に代表される技術が急速に発展した。徳川時代の日本もそうだが,統一政権による強力な支配があり,競争のない社会では,技術革新は起こらない
 著者はさらに,なぜ中国は早くから統一され,ヨーロッパは分裂したままなのか,についても考察する。その答えは,やはり地理的要因だという。ヨーロッパは中国に比べて海岸線の出入りが多く,大きな島も多い。これが障壁となって,統一国家が形成されなかったのだ。
 まとめると,ヨーロッパは,東西に広い大陸の,比較的湿潤な地域に位置し,相互の交流が困難であるほど厳しくはないが,政治的に統一されるほど低くはない,ちょうどよい程度の地理的障壁があったおかげで,現在の地位を築いたということ。こういう目で歴史を見たことなかったが,なるほど,と思う。