8月の読書メモ(歴史・英語)

名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書)

名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書)

 16世紀のアンリ四世から,19世紀のルイ・フィリップ一世まで。フランスブルボン王朝の歴史を,名画とともにたどっていく。とてもテンポの良い文章でさくさく読める。
 ブルボン朝って徳川幕府と同じくらい続いたんだな。タイムラグがあって,ブルボンの方が20年くらい早いけど。ヴァロア朝のアンリ二世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが産んだマルグリットが,フランスブルボン朝の開祖,アンリ四世に嫁いでいる。
 カトリーヌは,三人の息子が次々王位を継ぐのを見,続く王位争いでヴァロア朝の終焉を予感しつつ死ぬ。彼女の死後は娘婿のアンリ(四世)が,息子のアンリ(三世)を暗殺してヴァロア朝断絶。この争いにはもう一人のアンリ(ギョーム公)も参加していた。世に言う三アンリの戦いだ。
 三アンリの戦いは,宗教問題に発していたが,勝ったアンリ四世も,プロテスタントの押しつけは得策でないとしてカトリックに改宗。ナントの勅令を出し,30年続いたユグノー戦争が終結(1598年)。以後,フランスではブルボン朝が安定し,繁栄の礎が築かれた。
 最盛期は何と言ってもルイ十四世。在位期間は72年というからすごい。昭和天皇よりも長い…。でもその代わり,その間に王位継承者の息子と孫を亡くし,曾孫に王位が継承されることに。それがルイ十五世。
 太陽王ルイ十四世は,戦争好きで,あちこちで戦争していた。スペイン王家から嫁いできた妻マリア・テレサ持参金不払いのため,不問の約束だったスペイン王位の継承権を主張し,スペイン継承戦争の末,息子をスペイン王につけている(フェリペ五世)。これがスペインブルボン朝の始まり。
 こうしてスペインハプスブルグ家の断絶により生まれたスペインブルボン朝は,なんと現在まで続いている(フアン・カルロス一世)。ルイ十五世が身体頑健でなかったら,そこでブルボン家もスペインハプスブルグ家のように断絶していたかも知れない。ルイ十四世は幸運だった。
 著者の文章は少々の誇張があるにしても大変読みやすい。ルイ十五世の寵姫ポンパドゥール夫人の肖像を評したくだりを引用すると,「この絵の彼女は、寵姫になって十年ほどたつ三十四、五歳。ふつうなら容色の衰えや、ライバルになりそうな若い愛妾の存在に不安を覚えそうなものだが、王の心を完全に掌握している余裕が、ごく自然なリラックスした態度に表れている。表情は、まさに有能なキャリアウーマンのそれだ。このまま現代高層ビルのオフィスへ連れてきてパソコンの前に座らせても、なんら違和感はないだろう…美貌と才覚でのし上がる女性の典型といえる。」p.117
 フランスブルボン朝の終焉は,大革命で突然来たわけでもなく,共和制とナポレオン帝政の後には王政復古があった。1789年の革命で亡命していたルイ十六世の弟が1815年即位(ルイ十八世)。その死後そのまた弟が即位してシャルル十世に(1824年)。
 1830年七月革命でシャルル十世は退位させられ,より民主的なルイ・フィリップ一世が即位。しかし彼もまた18年の在位で保守反動化してゆき,二月革命で追放されてようやく王政は終焉を迎える。
 もっともそのあとの共和制で大統領に選ばれたルイ・ナポレオンは,のちにクーデターで皇帝ナポレオン三世になる。ブルボン朝末期からのフランスは,政体が本当にくるくる変わってものすごい…。革命ってなかなかすんなりとはいかないよなあ。

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)

 2月に同著者の『「英語公用語」は何が問題か』を読んだが,やはり英語は使えるに越したことはない。本書では,多言語共生という理想を追求しながら,普遍語となった英語を活用していく必要を説く。
 前著でも繰り返し述べていたように,「英語支配」がもたらす弊害に注意することを強調。母語に裏打ちされた豊富な言語力を活かし,話す内容を生み出す思考力,対人関係の構築力,批判的読解力を磨いて,「世界語としての英語」でコミュニカーションできれば文句なし。
 ネイティブスピーカーがどういう英語を話すかを気にしたり,「正しい英語」を追求するのでなく,英語を使う世界中の人たちが分かりあえる英語を目指すべし。英語教育界でもこういったパラダイムシフトが起きているらしい。
 以前どこかで,"I can do it before breakfast!" でいいじゃんって話を見たことあるけど,著者も同意見のよう。え?どういう意味?って聞かれたら,日本ではそう言うんだよーと説明することで,話も弾み,異文化相互理解にも資する。うんおもしろい。
 英語教育の新たな指針も示されてる。英米文化理解から,共通語としての英語を使っての発信へ目的をシフト。そのために,脱ネイティブスピーカー信仰,学習事項の仕分け,読み書きの重点化,自律した学習者育成を課題とする。(p.124)
 国際共通語といえば,20世紀にはエスペラントが随分もてはやされた。英語よりずっと単純で憶えやすく,一時期は国際派知識人がこぞって普及を夢見ていた言語だが,全然定着せず,ただのマニアックな人工言語で終わってしまった。
 結局,20世紀の歴史は英語を勝者とした。思考と密着し,日常的に使うのが言語だから,人工言語が失敗し,強者の言語が普及したのは当然すぎるほど当然だったのかも。今はそれを乗り越え,英語のコアだけが国際共通語として抽出され,活用されていくんだろう。それはもう本来の英語ではない。
 何でもネイティブに倣えは最近流行らない。著者がショックだったのは,「何も姓名の順番を英米風にすることはない」って学生に気付かせてもらったことらしい。日本では鹿鳴館時代の欧化政策から,この慣習が長く定着してた模様。