8月の読書メモ(刑事)
- 作者: 江川紹子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/03/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書は,検察問題に対する,ジャーナリスト,ヤメ検,学者たちによる,それぞれの立場からの論考を集め,座談会も収録。個人的には特捜の歴史を簡潔にまとめた郷原信郎の第二章がおもしろかった。やはりどんな組織でも歴史を通してその実態が形作られてきたんだからね。
旧軍の軍事物資の横流しなんかの隠退蔵事件を捜査する部署が特捜の前身。その後,1948年の昭電疑獄などを通して政治検察の性格を強め,1954年の造船疑獄で一躍脚光を浴びる。この事件では,佐藤栄作の逮捕が,犬養法務相の指揮権発動により阻止され,世論の批判を招いた。
政権批判の高まりで,吉田首相はやむなく退陣。一方検察は大きな同情を集め,国民全体が検察の応援団と化した。検察の権限行使は政治が介入してはならない不可侵なもの,という不文律が形成され,法務大臣の指揮権は封印されてしまう。
実は造船疑獄はかなり無理筋で,検察側から大臣に指揮権発動要請があったという話もあるが,ともかく検察は正義になった。そしてロッキード事件捜査。このあたりが特捜検察の絶頂期。その後ゆっくりとではあるが,国民からの大きすぎる期待に応えるのが困難になっていく。
1992年の東京佐川急便事件では,金丸氏の逮捕を断念。世の中から厳しい批判,非難を受ける。検察庁の看板には国民からペンキが投げつけられた。この頃には,検察が法的に許される最大限の仕事をしても,政治家の摘発をすることは容易でなくなっていた。
これを機に,検察は世論を極度に警戒することとなり,時にはマスコミへのリークによる世論操作で,事件を有利に進める傾向が強くなっていく。2006年には,ライブドア事件,村上ファンド事件など,経済犯罪を摘発していくが,旧来の特捜の組織,手法はこういった事案に適合しておらず,結局「大山鳴動して鼠一匹」ということになる。特捜検察は迷走していた。そこへ2010年の郵便不正事件。中央官庁の現役局長の逮捕にまで踏み切るが,公判で証言が次々翻り,検面調書がことごとく不採用となって無罪判決に終わる。そのあとには改竄事件が発覚。
過去の成功体験が大きすぎて,無理な捜査が常態化していたんだろう。政治家も小粒になり,そもそも巨悪の存在が怪しくなってきた。検察の権威も揺らいでおり,供述が得にくい。その割に検察,特に特捜部にはトップエリートの検事が集められ,成果を出さなくてはならない。
そんな強烈なプレッシャーのなか,無理な取調や,証拠の改竄が起こってしまった。特にまずいのが,特捜の独自捜査だろう。捜査から公判まですべて検察で行なうやり方では,一度逮捕でもしたらあとは引き返せない。後からストーリーに綻びができても,ムリヤリ突き進んでしまう。
裁判所の調書偏重の慣習も,無理な取調べを助長した。「精密司法」と言うけれど,それは公表されている部分の整合性が完璧ということに過ぎない。その完璧性を保つため,様々な「工夫」がなされている。調書は検事の作文。検察に不利な証拠は隠され,ひどい時には改竄される。
検察の改革にはやはり取調の可視化が必要なんじゃないかな。あと,特捜が検察の花形,検事の憧れであったために,プレッシャーが違法な取調を招き,その傾向が検察全体に広がっていた面がある。今,特捜の評判が地に落ちたことは,かえって検察のためにはいいのかもしれないね。
- 作者: 朝日新聞取材班
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2011/03/18
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結局村木局長の関与の事実はなかったわけだが,無理のある検察ストーリーが軌道修正できずに,逮捕・起訴と突き進んでしまった。その過程で,検察に不利な証拠(FD内ファイルの作成日付)をストーリーに沿うように改竄してしまう。手を染めた検事は「割り屋」として知られた敏腕検事。
改竄の兆候をつかんで,調査を進めるときにはかなり覚悟がいったみたい。三井環事件とかもあったし。2002年,検察の裏金を暴こうとした大阪高検公安部長が,内部告発直前に特捜部に逮捕された事件。改竄の取材が知れたら,検察はなりふり構わない。微罪で逮捕される恐れも大きい。
結局検察に感づかれることもなく,他紙にも気付かれずに,返却されていたFDのフォレンジック調査によって,改竄の事実はかたまった。これを地検幹部にぶつけ,翌日に検察内部調査,そこから情報を取ってその翌日紙面に出す,という手筈も整って,決行の運びとなる。
なかなかスリリングで,面白かった。ただ,スクープを追い求めるマスコミと,大物の有罪判決を追求する特捜部と,何か少しだぶって見えた。でも強大な国家権力が突っ走っちゃうからやばいんだろうな。権限を減らして透明化を図るしかないかも。
- 作者: 佐野眞一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/08/28
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被害者について「ひょっとすると…子どもの頃、泥んこ遊びをしなかったのではなかろうか。というより高学歴の両親は、それを…許さなかったのではなかろうか。…心のどこかで、『汚れたい』という願望をずっともちつづけてきたのではなかったか。」とか。(p.404)
不可解で,謎が多い事件と言うのは事実だから,ある程度しょうがないかもとは思うけど。でもこんな調子が多くて,ちょっと違和感。結局のところ,被害者はかなり病んでいたよう。適切な治療が必要だったんじゃないかな。気付いていた人もいたようだし,誰かが何とかできなかったんだろうか。
冤罪だったネパール人,海浜幕張のインド料理屋で働いていて,渋谷から海浜幕張まで通っていたみたい。同じ時期,僕も京葉線と山手線乗り継いで大学行ってたから,どこかですれ違っていたかもしれんな。そもそも被害女性の夜の仕事場・殺害現場が大学に近い。でも当時はあまり事件に興味なかったな。
- 作者: 上野正彦
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2011/07/02
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本を書く人はみんなそうかもだけど,著者も自分の仕事にものすごい自信を持っているのがよくわかる。「たとえ死体を焼いても、私のような専門家が見れば、殺人を隠し通すことはできない。そう知らしめないと、これからも真似をする犯罪者が出てくる」p.23
これはある意味頼もしくて,いいことなのかもしれないけど,過剰な自信はちょっと怖い。「私が推理したとおり、犯行現場の状況と死体所見が示したままの結果だった。」p.70,「いまの法医学者たちは知識は豊富でも、まだまだ経験が足りないと痛感する。」p107
被害者への感情移入も隠さない。「さぞ苦しかったであろう。生きながら死ぬことに、さぞ恐怖したことであろう。」p.117
法医学の鑑定は,冷静中立にやらないとまずいんじゃないかと思ったりするけど,人間が執刀する以上やはり難しいのだろうか。戦後多くあった冤罪事件で,被告人を有罪にする鑑定結果が法医学者から出されていた。古畑鑑定などが有名。あまり自信過剰だったり,犯人を何とか罰したいとか思っていると,目が曇るんじゃなかろうか。著者には失敗談などないんだろうか。「犯人を特定するに至らなかった」みたいのじゃなく。