7月の読書メモ(歴史)

昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)

昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)

 実証史学の手続きに忠実に,昭和天皇の実像に迫る,とても良い本だった。ただ,新書なのにかなり重たくて,読了までに8時間ほど要した。夏休みのサイパンで半分,帰国して残りの半分。あとからふりかえってみてびっくり。
 昭和天皇の側近が遺した日記などの一次資料から,様々な回顧録までを適切に史料批判しつつ論を組み立てており,信頼に足る評伝といえる。かつては史料が乏しく,またイデオロギーの時代だったので,昭和天皇の伝記は書く者の政治的立場が強烈に出ていたそうだが,本書は極めて中立的。
 昭和天皇は,1901年生れで,思想形成を大正時代に終えている。大正デモクラシーと言うように,自由主義的な雰囲気の溢れた時代に教育を受けた。誰しも生れる時期は選べないが,こうして平和主義者,国際協調論者としての天皇をいただくことになったのは不幸中の幸いだったかも。
 元老西園寺が健在だった昭和のはじめころまでは,天皇の考えが周りにも支持されていた感じなのだが,満州事変が起こり,日中戦争が始まってくると,だんだんと天皇の周りから人が消えていき,天皇は徐々に孤立してしまう。
 陸軍は天皇を軟弱者とし,一部が暴走して政府要人や天皇の側近を狙うテロが頻発。そのような中で,戦争を回避しようとする天皇の考えはなかなか賛同を得られなくなっていった。
 結局対米開戦のやむなきに至ってしまうが,一旦始まった戦争は,やりぬかなくてはならない。敗色が濃くなってくると,昭和天皇はなんとかもう一度戦果をあげて,有利な条件で終戦できないかと考えるが,それも空しく,沖縄が陥ち,二発の原発が落とされて,最後は聖断によってポツダム宣言を受諾。
 最後まで徹底抗戦論者も少なくなく,クーデターや天皇に対するテロの恐れも大いにあったが,終戦の聖断は下された。良き立憲君主たろうとした天皇個人の想いがこの決断に表れたのだろう。実際に玉音を収録したレコードが,一部軍人によって強奪未遂にあっている。
 終戦後は,戦争責任を背負いながら長く公務をこなした。戦争を主導したのが自身ではないとしても,開戦を決断し,厖大な犠牲を出してしまったことについては責任を痛感していたようだ。摂政時代を含めて70年もの間,苛酷な立場に立たされてきた昭和天皇。やはり偉大な人物だったと思う。
 昭和天皇は,摂政宮時代からずっと趣味として生物学をやっていて,もちろん進化論などもよく知っていた。それでいて戦前には現人神とかされていたわけで,その辺,居心地の悪さもかなりあったんじゃないだろうか。
 もともと生物と歴史に興味があり,どちらに取り組んだらいいか,というときに,歴史は政治的に差し障りあるよねってことで生物学を選んだそうだが,生物学もなかなか考えさせられるところがあったんじゃないかな。理系の学問をやってると,社会に対してもちゃんとした見方できるような気が。少なくともそういう素養がついてくるような気がするな。

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

 歴史人口学の成果を紹介。日本の人口は縄文前期の十万人程度から,千倍ほどになった。この間七千年,人口は一貫して増えたわけでなく,増加→頭打ち(減少)という波を四度経験してきた。
 縄文中期までの気候の温暖化が最初の人口増加をもたし,30万人程度まで達した。次第に寒冷化し人口は激減するが,弥生時代に入り,水稲農耕が定着するあたりから急激な人口増が見られる。その後,平安時代になって600万人前後で人口成長は鈍化。
 さらに14世紀ころから市場経済の展開とともに人口は増えてゆき,江戸時代の18世紀,3000万人で人口は停滞。明治維新による近代化以降,急速な工業化は人口増をもたらし,間に太平洋戦争を挟むも今に至るまで人口は増え続け,1億3000万人に達する。
 世界人口も,農業革命と産業革命の二度の文明システムの変更によって,増加→停滞の波が説明できる。日本では,縄文期の温暖な気候,弥生期の稲作,室町以降の経済社会化,明治以降の工業化,に起因して,人口推移に四つの波が見られるというわけ。なるほど。
 近代化以降は,人口を把握するのに統計が使えるが,それ以前は推計によるしかない。縄文時代などでは遺跡の数や集落規模を駆使,奈良時代以降は年貢の量や課丁数をもとに人口が推計されている。江戸時代に入ると,「宗門人別改帳」が強力なデータになる。
 宗門人別改帳は,町村単位で作成される随時の戸口調査で,全国的に完全に残っているわけではないが,長期間残る藩もあり,人口推計の上で有効な史料である。そのため江戸時代の人口現象については,それ以前よりもかなり多くのことがわかる。本書でもかなり詳しく記述される。
 宗門改帳は毎年作成され,世帯員の名前,戸主との続柄,性別,年齢が書かれているので,それを追跡することで,人口の動静が明らかになる。乳児の死亡が反映されないので,乳児死亡率や出生率については注意が必要だ。
 江戸時代の結婚,出産,死亡についてはいろいろなことが分かっている。現在は結婚後,短い間に出産を終え,子が独立した後も長い夫婦の余生が残るが,江戸時代には,早く結婚しても40過ぎまで多くの子を生み続け,末子が成人しないうちに親が死に,長兄がその後の面倒を見た。
 江戸期の人口現象で興味深いのは人口調節機構。避妊の知識も乏しいため,堕胎や間引が広く行なわれていたが,貧窮のあまりと言うより生活水準を切り下げないため予防的に行なわれた傾向が強い。また,都市は出生率が低く死亡率が高いため,人口を吸い込む「蟻地獄」となっていた。
 間引なんかは,当時と言えども奨励されてたわけはなく,『子孫繁昌手引草』のような,間引の非人間性を諭す多くの出版物も出されていた。現在の意識で考えると全然理解できないが,当時としては当時なりに辻褄をつけてやり過ごしていたのだろうな。「トメ」とか「末吉」とか名づければ弟妹が生まれなければいいんだけどね。
 まともかく,要はどれだけの人口を支えられるかはやはり利用可能なエネルギーの大小によるんだろう。でもそれは多分比例関係ではなく,高エネルギーになるほど人口維持に割く割合が減る。快適な生活とかに振り向ける分。で快適さは捨てたくないから,使用可能エネルギーがピークを打つと,先進国では自動的に産児制限がかかる。江戸時代ではそれが間引だったのだが。途上国でもタイムラグはあるが同様の推移をたどると思われる。
 今後,原子力もアレだし使えるエネルギーが青天井ってことはないから,世界人口も減ってくよね。日本はすでに減少に転じた。世界の人口が,大きな破綻なく徐々に減ってくのは良いことだと思う。20世紀は増えすぎたよ…。