6月の読書メモ(社会・その他)

人が人を裁くということ (岩波新書)

人が人を裁くということ (岩波新書)

 筆者は在仏30年になる社会心理学者。日本にも裁判員制度が導入されて久しい。市民参加の正当性,認知や記憶の曖昧さ,主体・自由意思の虚構性に光を当て,素朴な司法観を見直す好著
 本書は三部構成。まず裁判員制度をはじめとする司法への市民参加とそれを支える理念に触れる(裁判員制度をめぐる誤解)。次に自白や証言を引き出す過程でいかに記憶が捻じ曲げられるかを見て(秩序維持装置の解剖学),自由意思と責任の転倒した関係を論じる(原罪としての裁き)。
 ヨーロッパにもアメリカにも参審制,陪審制といった裁判への市民参加が認められているが,その正当化根拠には違いがあるようだ。欧州では,裁判の目的を真相究明に求めることが多く,アメリカでは紛争解決に求めることが多い。欧州は国民を重視し,アメリカでは共同体を重視。もちろん,本当の真実というものは誰にも把握などできない。欧州裁判制度の追及する真実とは,国民自らの手で決定した事実。権力でなく市民が真実を決めるというスタンス。アメリカでは,地域共同体で起こった事件は自分たちで解決するというスタンス。中央政府は基本的によそ者。
 どの国も,複数の市民が裁判に直接関与するが,人数,裁判官との役割分担など,制度設計によって裁判の内容が影響をうける。責任が稀釈されたり,同調や服従なども起こりうる。ただ,一回きりの参加にとどまる市民の判断は,犯罪を裁くのに馴れた職業裁判官よりも有罪判断に慎重な傾向。
 冤罪の危険というのはどうしてもなくならない。自ら進んで犯行を認める者はいないし,捜査機関は被疑者が犯人であることを信じて追及することが多い。密室における取調べによって,逃げ場のなくなった被疑者が虚偽の自白をしてしまうケースが後を絶たない。日本でも外国でも同じ。
 また,人間の認知能力,記憶保持能力というのは非常に限定的で,連日の執拗な取調べによって,真犯人でない被疑者が,犯罪事実を自分が起こしたように誤信する結果になることも稀ではない。目撃証言についても同じで,捜査機関が希望する証言内容を実際に見聞きしたと思込んでしまう証人も。
 冤罪の種は尽きないのだが,それ以上に重要な問題提起が第三部でなされる。近代刑法の大前提として,人間は自分の行動を自由に選び取ることができる,自律的な存在だという考えがある。それにもかかわらず,犯罪に手を染めたという点が批難に値するため,処罰が正当化される。
 しかし,生理学・心理学で得られた知見によれば,自由意思や主体の存在は極めて疑わしい。意識的な身体の運動に際しても,その運動を引き起こす神経の電気的指令は,動かす意思よりも前に生じることが分かっている(リベット実験)。身体の動作は完全に意識的に制御できるわけでない。
 さらには私とか自己というのも実在するとは言い難い。自己は社会的に構築された幻想であるといっても間違いではない。それに人間誰でも遺伝と環境が作用して出来上がったものであり,それ以上でもそれ以下でもない。もとは単細胞の受精卵だった。そのような存在を裁くとはどういうことか。
 結局,主体とか自由意思というのは,責任を問うために捏造された概念にすぎない。社会秩序を維持するためにそういうフィクションが必要とされたのだ。魔女狩り動物裁判,死体の処刑のように,災厄のシンボルを破壊する儀式を通じて共同体の秩序を回復することは,常に行なわれてきた。
 この第三部の責任論は,同著者の『責任という虚構』で詳しく論じられていた。→過去ブログ記事http://bit.ly/ihmIoz参照「責任はフィクションである」なんて違和感があるかもしれないが,結構説得力のある話だと思う。
 近代合理主義とその前提する人間観には科学的にみてかなり綻びが出てきてるように思う。ただ,その場合,逸脱行為にどう対処するかが難しい。まったく逸脱のない社会は全体主義であり,不健全・不自然。逸脱行為は必ず起きる。それを何らかの形でうまく扱っていかなくてはならない。


津山三十人殺し 最後の真相

津山三十人殺し 最後の真相

 かの「八ツ墓村」のモデルとなった,昭和13年の大量殺人事件。集落への電線が切断され,ナショナルの懐中電灯を二本頭に括りつけた襲撃者が,銃や日本刀で12軒に乱入。犯人はその集落に暮らす一人の青年で,村人約百人のうち,老若男女30人を殺して自殺した。遺書は残したが,事件の真相ははっきりしない。著者は,犯人と,最初の犠牲者であるその祖母の関係に光を当てて,真相にせまっていく。
 動機は怨恨らしい。肺病のため,徴兵検査でも丙種とされ,集落内で差別をうけていたという。当時の田舎では,「夜這い」の風習があり,集落内の男女は結構普通に関係していた。犯人も何人もの村の女性とそういう関係にあったが,病気を理由に冷たくされるようになってそれもこたえたらしい。
 警察発表では動機は「痴情のもつれ」ということにされた。夜這いがはびこるような風紀の乱れは,こんな凶悪な事件に結びつくのだ,とした。この事件は,そういう宣伝に利用された面もある。銃後をおびやかす,前近代的な夜這いの風習などは,国策に反しており,撲滅の対象だった


地下鉄は誰のものか (ちくま新書)

地下鉄は誰のものか (ちくま新書)

 東京都副知事が,東京メトロ都営地下鉄の料金統合,経営統合について熱く語る。途中,川徳治の東京地下鉄道五島慶太東京高速鉄道による新橋駅をめぐる戦前の争いが詳しいが,ちょっと詳しすぎる気も。結局戦時下の統制で帝都高速度交通営団に一本化されてしまい,戦後の営団と都営の分立とは直接関係ないし。「欲望による一元化の挫折」って章題にもなってて,既得権益死守のために経営統合ができなかった事例と言うことだろうけど,まあねえ。
 とはいえいつも使っている新橋駅にそのような歴史があったということは興味深く読んだ。早川五島対立時は,渋谷から新橋,浅草から新橋が分断されていたとはね。新橋駅の「幻のホーム」。


アインシュタイン よじれた宇宙(コスモス)の遺産

アインシュタイン よじれた宇宙(コスモス)の遺産

 三年ほど前に相対性理論にハマって,趣味でちょっと勉強したのだが,伝記はあまり読んでなかった。これは物理学者が書いてて,なかなかよくまとまっていて良かった。アインシュタインは若い時に特殊,一般の相対性理論を打ち立て,物理学に革命を起こしたが,晩年の30年は,量子力学を嫌って大統一理論に没頭し,あまり評価されてこなかった。しかし,最近になって彼の大統一理論への邁進が再評価されているようだ。
 いま超弦理論を筆頭に,重力・電磁力・弱い力・強い力の統一理論が模索されている。アインシュタイン自身が「人生最大の過ち」と言った宇宙定数も,ダークエネルギーという形で現在の宇宙論取り入れられている。本当に物理学に巨大な影響を及ぼした人物だ。
 相対論については,過去ブログにいくつか書いた。http://bit.ly/kANwsG 光速の不変性を原理として要求し,時間と空間が一体的な時空としてふるまうことを示した特殊相対論。質量とエネルギーが時空を歪ませそれが物体に重力を及ぼすとした一般相対論。とても美しい理論だ。