6月の読書メモ(医療)

予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)

予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)

 ワクチンをめぐるいろいろを臨床医師が考える。効果と副作用をめぐる戦後日本ワクチン史も。筆者は,予防接種をめぐる単純化された報道を苦々しく思っている様子。
 新聞・テレビは,予防接種の副作用被害をことさら強調したり,逆にワクチン導入の遅れを批判したりする。ワクチンは利益もあればリスクもあるのに,その比較考量をしないで,感情的な議論に終始する。政策もそれに大きく影響される。
 筆者の観察によれば,戦後のワクチン行政は,報道に翻弄されてきた。ひたすら「叩かれないように」という基準で,ワクチン接種を中止したり,再開したりしてきた。その具体例を挙げながら,予防接種の戦後史が語られる。
 戦後,GHQの占領下で,予防接種は強制的に行なわれた。副作用による損害を賠償するような仕組みもなしに,不衛生な日本を徹底的にきれいにしようという発想。ついこないだまで空襲や原爆投下で市民を殺戮していたアメリカが,個々の日本人の意向を尊重するはずもない。
 その後,ジフテリア事件という副作用被害や,ポリオ生ワクチンの緊急輸入などを経て日本の予防接種も変遷を遂げるが,いまだ充分な制度になっているとは言い難い。個人の自由を尊重するとされるアメリカで,予防接種がかなりうまくいっているのは逆説的だが,見習うべき点は多い。
 本書の副題は「ワクチン嫌いを考える」。予防接種を忌避する人々が多いそうだが,筆者の見立てによると,彼らはまず「医者とか薬って嫌」という感情が先にあって,それを補強する為に「人工より自然がいい」とかあとづけで根拠を構築する。好悪が善悪にすりかえられてしまっている。
 好悪の感情は誰しももつものだし,それはそれでしょうがない。ただそれを,往々にしてひねくれた,筋の通らない勝手な理由づけでもって,「自分の嫌いなものは悪いものなんだ」と納得してしまうのはまずい。予防接種嫌いにはそれが多いようだ。
 ホメオパスの著書からの引用があったが,論理破綻もいいところ。でもこういう言説だからこそ,感情的に人に訴えかけるところがあるようで,支持者も多いみたい。しかし,やはり大事なのは疫学的な事実に基づき,リスクとベネフィットを比較考量して制度設計,意思決定をしていくこと。
 そのうえで,ある程度の健康被害は避けられないから,それは適切に補償していく必要がある。感情的になってはいけない。ゼロリスクがないのは原発も一緒。ゼロリスクを目指すと,隠蔽につながる。


「患者様」が医療を壊す (新潮選書)

「患者様」が医療を壊す (新潮選書)

「患者中心の医療」は根本的に間違っている,「医者は偉い」というフィクションを信じることで,患者も医師ももっと幸せになれる!という一風変わった視点の本。
 著者は感染症が専門の医師。『予防接種は「効く」のか?』で,ワクチンの一面だけをみて嫌悪する人たちの思考を論じていたのを読んで,なかなかいいこと言うなと思いこれも手にとってみた。読み進むにつれ何か内田樹の雰囲気を感じたが,案の定あとがきに大ファンであることの告白があった。
 内田樹って何か常識的な考えに対して,肩透かしをしてピントをずらすような言説が多いが,この本もそんな感じがして結構違和感もあった。まあ言いたいことは分かる。モンスターペイシェントとか猜疑心の塊のような患者が増えてて,そういう人たちは医師をほとんど敵と考えてる。
 そういう人たちは不幸にも「患者の権利」というものをはき違えているんだろうな。極端。でそれに対して著者は,患者は全面的に医師を信頼した方がお得ですよ,と説く。粘着的に医師のあらさがしをしたり,自分の病状を悪い方悪い方に考えるのは,体に差し障りがあるのは確かにそうだろう。
 著者が言う信頼は,信頼ごっこ。本気で医者が聖人君子だと信じるのも,悪逆非道だと弾劾するのも,どちらも小児的。大人なんだから,医者は偉い,というフィクションをお互い信じてるふりをして,それに身を任せるのが最善ですよね,という話。
 そのフィクションをフィクションとして捉えられないために,様々な不幸が出てくる。医療過誤など,結果ありきでそこから「原因究明」とあらを探されれば,医者は圧倒的に不利。「正しい治療」などないしできないのに,そういう追求をされてはたまらない。
 もう皆さん本当はわかってるんだから,もっと大人になりましょうよと著者は呼びかける。大筋はまあまあ納得なのだが,物言いがなんだかふんわりしていて,モンスターペイシェントが読んだら大激怒しそうな感じ。アマゾンのレビューは結構好意的ですな。