4月の読書メモ(歴史)

うーん,いまいち。著者の武光誠氏は古代史をやってる学者で,ものすごくたくさんの一般向け歴史本を書いているようだ。読みやすいのだろうが俗っぽすぎてダメ。単なる大河あやかり本
 そもそも書名に反して江(どころか浅井三姉妹)のことがそんなに出てこない。関ヶ原合戦大坂の陣の経過がメインな感じ。その割には「戦国時代の女性の役割は大きかった」(要旨)とか言って,彼女たちを一応持ち上げる。前に読んだ,福田千鶴『江の生涯』の方がずっとよかった。史料に基づき地に足のついた考察してた。というか,較べものにならない。でもやっぱり,一般受けする武光『お江』の方が読まれるのだろうか…。同じ歴史学者なのにこの違いは何? あんまり著書が多い人の本(ノンフィクション)は信用しないようにしようかな。『お江』のどこがそんなにダメかというと,例えばこんな記述

織田信長の女性関係に関する悪い評判は、伝わっていない。信長には正室濃姫と、吉乃など数人の側室がいた。これだけの女性を相手にしていても、信長と女性との間のもめ事も、女性同士の争いもないのである。
このことは織田信長が女心を理解し、身近な女性たちをたいせつに扱っていたことを物語っている。

 はあ?と思いませんか。これが歴史家?と面食らう。飲み屋のお父さんレベルでは…。
 ほかにこんなのも。

お市の方と二人の夫たちの夫婦仲は、大そう良かった。浅井長政柴田勝家も、心からお市の方を愛していた。織田信長お市の方との間にも、つよい信頼関係があった。

 この記述だけでもしょうもないが,何より根拠が示されていない。
 もちろん飲み屋談義とは違って,明らかな史実に反することは書いてないのだと思うが,「愛していた」とかそれは小説・ドラマでしょう?戦国時代だよ?西洋みたいに夫婦がやりとりした書簡から,そういう風に結論するのはいいんだと思うが,やはり根拠となる史料を示さないといかんのでは。間接証拠でなくてね。著者によればお江と秀忠も夫婦仲がよかったそうで,子供がたくさんできたとかいう状況証拠を挙げてる。江が嫉妬深かったというのは俗説と切捨てるがそれも俗説では?福田『江の生涯』では,家光も,皇室に嫁いだ和も,江の実子ではなく,実子は3人とされてたし。
 結局,関ヶ原大坂の陣を書いてみたかったところ,丁度大河ドラマが始まったので,お江を題名にして戦国女性を褒めそやして今風にしてみましたって駄本。独断と偏見ですが。

戦後日本漢字史 (新潮選書)

戦後日本漢字史 (新潮選書)

 みんな普通に漢字仮名交じり文で日本語を書いてるが,実は過去に二度,漢字廃止の危機があったことを御存じだろうか。明治維新期と戦後の一時期である。本書では,このうち戦後に漢字が辿った運命を概観する。
 昨年「新常用漢字」が決められたが,著者の阿辻氏はそれにもかかわった漢字の権威。戦後,漢字は結局廃止こそされなかったが,字体や音訓をいじられ,当用漢字・常用漢字と他の漢字の間で相当な混乱が生じ,それは今も尾を引いている。著者はそれに対する憤りを隠さない。
 漢字は昔から難しいとされ,何千もの漢字を使う日本語は,合理的な思考を阻害し,民主化の妨げになっていると指弾されてきた。戦前からカナ書き論者,ローマ字書き論者がいて,漢字の廃止を訴えていた。それが敗戦によって勢いをつける。占領軍は26のアルファベットで事足りるアメリカ人。何千という漢字を使う日本語なんておかしい!と漢字廃止には当然前向きだった。日本は負けたが,カナ書き論者,ローマ字論者は,まさに鬼の首をとったようだったに違いない。ほら言わんこっちゃない,漢字のせいで敗けたのだ!封権的な漢字を排斥するには,敗戦直後の今が絶好のチャンスである。次の機会は訪れないかもしれない。
 歴史的にも大きな社会的変革期に文字改革が行われた例は多い。1922年共和制に移行したトルコはアラビア文字をローマ字に変えた。ベトナムはフランスの支配下,1919に科挙を廃止し,次第に漢字を捨てていった。これと同様に,戦後,日本語から漢字がなくなっていたとしても不思議ではない。だが,幸いそうはならなかった。なぜか。自分なりにまとめると,文盲率が低かったこと,そして同音異義語が多くて表音式表記では意味が取りにくかったこと。この二点だろうと思う。
 敗戦によって,それまでの人間が総入れ替えされるわけではもちろんないから,それまでの慣行を急にやめることは難しい。特に生活に不可欠な言語については当面それまでのものを使うしかない。日本人の多くが漢字の読み書きがある程度できていたため,急激な文字改革は避けられた。そこで,とりあえず漢字を易しく,数を少なくしましょう,ということで二千ほどの「当用漢字」が決められた。字体も簡略化され,読みのバリエーションも絞られた。新聞もこの規制には大賛成で,社説などで音頭をとって推進した。活字の節約ができるからである。
 学校教育もこの「当用漢字」の範囲内で行われた。字体の簡略化は,文字の起源をたどれなくなるというデメリットをものともせずに行われた。例えば「臭」は鼻を表す「自」と「犬」があわさって「におい」を意味する会意だが,「自」と「大」にされた。一画の節約のために。「突」も本来は「穴」+「犬」だ。穴から犬が突然出る。ちなみに「然」の右上は「犬」のままというダブルスタンダード。他にも,もとは同じ「つくり」を共有していた「独」「触」と「濁」は同系であることが分かりにくくなった。「仏」「払」と「沸」「費」,「伝」「転」と「専」と「団」も然り。
「当用漢字」にない字については,かな書きすることとされた。それで「はく奪」「軽べつ」などの見苦しい交ぜ書きが生れた。このような不具合は,過渡的なものとされ,重視されなかった。何せ将来的には漢字全廃も視野に入っていたのだ。それよりかなとローマ字のどちらで書くかが問題だ。産業界からも漢字は槍玉に挙げられた。種類の多い漢字はタイプライターに不向きで,合理的な文字でないとされた。これについては技術の進歩で今では何の問題もないが,昔は深刻な欠点とされていた。人を道具に合わすのでなく,道具を人に合わせるのが本当だろう。そんなことも見えなくなっていた。
 とにかく敗戦の衝撃と言うのはものすごかったらしく,志賀直哉は雑誌『改造』で,「日本はフランス語を国語にすべし」と主張するほどだった。意味がよくわからないと思うが,漢字なんかあってややこしくダメダメな日本語をやめて,今後日本人はフランス語で読み書きするのがよいというのだ。志賀直哉といえば文豪である。日本語を操り,芸術作品にすることで飯を食ってきて,それで日本語は絶滅してよし,とするのだから正気の沙汰ではない(しかもそれを日本語で書いてるし)。今も震災で日本ヤバイって感じだが,当時は今から想像できないくらい日本はやばかったのだろう。
 漢字のほか仮名遣いなども含めて,国語の歴史については,高島俊男『漢字と日本人』を読んで以来,一家言あるのだが,このくらいにしよう。阿辻『戦後日本漢字史』は漢字をめぐる戦後の歴史をつかむのにちょうどよい本と思う。オススメ!

世界史をつくった海賊 (ちくま新書)

世界史をつくった海賊 (ちくま新書)

 現代の海賊をテーマにしようと思ってたら,なぜか16世紀の海賊の本になってしまったらしい。現代のって「海賊戦隊ゴーカイジャー」とか「ワンピース」じゃないよね…。
 海賊と言えばイギリス。エリザベス一世の庇護のもと,スペイン船やポルトガル船を略奪しまくったフランシス・ドレーク,ウォルター・ローリー,ジョン・ホーキンズたちの活躍をまとめている。大航海時代に遅れてきたイギリスが,産業革命を経て栄光の大英帝国を打ち立てるには,海賊の貢献が欠かせなかった。16世紀の終わり頃,スペインの無敵艦隊を撃破した立役者も海賊たちだった。
 海賊をやったのは,香辛料とか黒人奴隷の貿易で出遅れてしまい,船ごとかっさらうのが手っ取り早かったから。とはいえ乱暴だな…。ま,海賊だからしょうがないか…。というより乱暴だから海賊なのか。奴隷なんか単にアフリカに行っても何百人も捕まえられない。先行者ポルトガルは,奴隷海岸を拠点に,地元の部族長と結託して効率よく集めてた。そういうのをひっくるめたシステムがものをいうから,新参者はまともな手では勝ち目がない。(人身売買自体まともな手ではないが…)
 なので,イギリスの海賊は奴隷船ごと拿捕して,砂糖農場で猫の手も借りたいカリブの島々に奴隷たちを売りさばき,船はわがものにして次の海賊行為に利用する。それがカリブの海賊。著者も執筆のためTDLに足しげく通ったとか(必要か?)。イギリスは,当初略奪をこととしてたが,返り討ちにあって拠点の必要性を痛感し,ジャマイカを分捕る。アフリカー奴隷→カリブ・新大陸ー砂糖・煙草→イギリスー銃・毛織物→アフリカ,という三角貿易
 海賊の活躍で国力をつけたイギリスは,次第にまともに貿易で儲けるようになってくる。香辛料が値崩れしてくると,コーヒーが,その後は茶が重要な貿易品になる。コーヒーと茶,それぞれに一章が割かれて受容史がつづられる。紅茶だけでなく緑茶も人気だったらしい。へぇ。
 内容もおもしろく,著者がおちゃめなのもよい(テーマ変更とかTDLとか)。いい本だった。