ことばと思考

ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)

 言語には前々から興味があっていろいろ読んで感心していた。この本はサピア・ウォーフ仮説を心理学的に検証するとどうなるかというのを詳しく扱っていてとても興味深い。サピア・ウォーフ仮説とは,ある言語の母語話者の思考は,その言語によって規定されてしまうという説。言語は思考体系そのものであるから,言語に応じて考え方が異なり,完全な翻訳は不可能で異言語間での意思疎通は困難な場合がある,ということだ。
 世の中の物事を認識・把握するのに,言葉は非常に重要な役割を果たしている。人間は自己の外部をありのままに把握するのではなく,言葉をつかってきりとりながら把握する。言葉は世界をきりとる道具といえる。道具が違えばそのはたらきも違うように,言語が異なると世の中をどう認識していくかも異なる。地球上には様々な言葉を話す何千もの民族がいるが,それぞれ固有の世界のとらえかた・思考様式をもち,多様な文化をうみだしている。言語というものはそのまま世界のきりとりかたをあらわしている
 例えば,英語では,単数か複数かで名詞の形が異なるが,日本語ではその区別がない。英語を母語とする人々は物が一つなのか二つ以上なのかを区別することに意味を見いだしているが,日本人にとってはそんな区別は重要でない。日本語では数を特定せずに「犬を飼っている」という言い方ができるが,英語では飼っている犬が一匹なのか否かを必ず表現しないといけない。逆に日本語で「犬を複数飼っている」とか、「犬たちを飼っている」とか言うのは異様な表現であり,どうしても数に触れたければ「犬を○匹飼っている」とか「犬をいっぱい飼っている」など単複の区別以上の限定をしなければならない。
 もちろん英語の方が大雑把なこともある。例えば日本語には「…本」とか「…枚」とかいう助数詞があるが,英語にはない。また,英語では稲も米も飯も「rice」である。橙だけでなく茶色まで英語では「orange」になる,などなど。世の中にはいろんな言語があって,色を表す基本語が2個しかない言語や,前後左右に相当する語がなく東西南北で位置を特定する言語もある。名詞に性をもつ言語はかなりポピュラーで,男女だけでなく中性があったり,計5個の性をもつ言語もある。中国語には英語の「hold(持つ)」にあたる言葉がたくさんある*1が,逆に英語で使い分けている「hold(単に持つ)」と「carry(持ったまま移動する)」は区別しない。このように言語体系は千差万別であり,異なる言語間では,言葉の意味は一対一対応しないことがほとんどである。やはり思考は言語で決まるのだろうか。
 本書では,このサピア・ウォーフ仮説を実験で確かめる試みが紹介されている。結論は,どんな言語の話者であるかによって,空間関係や時間の認識のしかたはかなり影響を受ける*2が,物体や色の認識においては,言語の違いがそれほど本質的に表れるわけではない*3としている。穏当な結果だ。人は理解しあえる。多くの学問が言語を超えて成果を共有するのも,別にみんなが西洋文化に染まってしまったわけでもなく,本質をえぐりだしているからなのだろう。

*1:拿,抱,夾,頂,托,背,端,提,捧,挙など

*2:前置詞「on」を用いる英語話者は,位置の上下関係よりも接触・支持の有無に着目して認識する傾向があるが,日本語話者はそうでない。

*3:むしろ,ある対象の類似物に対応する語がある言語話者は,その対象と類似物の差異を捨象してその語が表す物として認識してしまう傾向があるのに対し,そのような語のない言語話者は,その対象を変にゆがめることなく認識できる場合も多い。