ことばと思考
- 作者: 今井むつみ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/10/21
- メディア: 新書
- 購入: 22人 クリック: 116回
- この商品を含むブログ (56件) を見る
世の中の物事を認識・把握するのに,言葉は非常に重要な役割を果たしている。人間は自己の外部をありのままに把握するのではなく,言葉をつかってきりとりながら把握する。言葉は世界をきりとる道具といえる。道具が違えばそのはたらきも違うように,言語が異なると世の中をどう認識していくかも異なる。地球上には様々な言葉を話す何千もの民族がいるが,それぞれ固有の世界のとらえかた・思考様式をもち,多様な文化をうみだしている。言語というものはそのまま世界のきりとりかたをあらわしている。
例えば,英語では,単数か複数かで名詞の形が異なるが,日本語ではその区別がない。英語を母語とする人々は物が一つなのか二つ以上なのかを区別することに意味を見いだしているが,日本人にとってはそんな区別は重要でない。日本語では数を特定せずに「犬を飼っている」という言い方ができるが,英語では飼っている犬が一匹なのか否かを必ず表現しないといけない。逆に日本語で「犬を複数飼っている」とか、「犬たちを飼っている」とか言うのは異様な表現であり,どうしても数に触れたければ「犬を○匹飼っている」とか「犬をいっぱい飼っている」など単複の区別以上の限定をしなければならない。
もちろん英語の方が大雑把なこともある。例えば日本語には「…本」とか「…枚」とかいう助数詞があるが,英語にはない。また,英語では稲も米も飯も「rice」である。橙だけでなく茶色まで英語では「orange」になる,などなど。世の中にはいろんな言語があって,色を表す基本語が2個しかない言語や,前後左右に相当する語がなく東西南北で位置を特定する言語もある。名詞に性をもつ言語はかなりポピュラーで,男女だけでなく中性があったり,計5個の性をもつ言語もある。中国語には英語の「hold(持つ)」にあたる言葉がたくさんある*1が,逆に英語で使い分けている「hold(単に持つ)」と「carry(持ったまま移動する)」は区別しない。このように言語体系は千差万別であり,異なる言語間では,言葉の意味は一対一対応しないことがほとんどである。やはり思考は言語で決まるのだろうか。
本書では,このサピア・ウォーフ仮説を実験で確かめる試みが紹介されている。結論は,どんな言語の話者であるかによって,空間関係や時間の認識のしかたはかなり影響を受ける*2が,物体や色の認識においては,言語の違いがそれほど本質的に表れるわけではない*3としている。穏当な結果だ。人は理解しあえる。多くの学問が言語を超えて成果を共有するのも,別にみんなが西洋文化に染まってしまったわけでもなく,本質をえぐりだしているからなのだろう。