サンデル

 残念ながら見過ごしたが,ETVの白熱教室で今年はマイケル・サンデルがブレイクしたそうな。東大にも講義に来て話題になっていたらしい(これは再放送で見た)。そこで読んでみた。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

 世の中は複雑だ。いろいろな人がいて,何が道徳的に正しいのかについても,いろいろな立場がある。主なものには,効用の総和を最大化する行動を善しとする功利主義,個人の自由を最大限尊重し,国家の介入を嫌悪するリバタリアニズム,人間の理性を尊重し,人格それ自体を不可侵であるとするカントの道徳論がある。これらを中心に,豊富な事例に沿ってどのように考えればよいのか,読者に考えさせる刺激的な本だった。
 非常に売れた本で,確かにおもしろくてためになる。思想の本としては,80年代に「構造と力」という難解な本がバカ売れしたことがあるらしいが,なんだかそれを思い出した。当時は軽佻浮薄な時代だったのだろう。


完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

 エンハンスメントの倫理についての本。エンハンスメントとは,健常者が,治療目的でなしに医療行為や機械による支援を受けることによって身体的・精神的な能力を高めること。遺伝子操作や人体に器械を埋め込むような技術は,治療や介助が目的で開発されてきたが,これが健常者にも適用でき,効果をもたらすために倫理的な問題が出てくる。受精卵に対して遺伝子操作を行ない,エンハンスされた子供を得るデザイナーチャイルドについても考える。
 能力を向上するための教育や訓練は推奨されるのに,なぜ人は遺伝子操作やサイボーグ技術によるエンハンスメントには抵抗を感じるのだろうか?使われる技術が新しいからだろうか?人は新しいものにおびえ,反発する。歴史的に,何か新しいものが急速に普及してくると,それは必ずバッシングを受けてきた。メディアでいえば,小説,ラジオ,テレビ,インターネットはどれもこのような抵抗をくぐりぬけている。しかし新しいものも次第に受け入れられる。時間が解決してくれる。そうすると遺伝子増強やサイボーグも,将来的には当然とされる世の中が来るのだろうか?そういう問題を考えていく。
 遺伝子操作によるエンハンスメントは,悪名高い優生思想にもつながる。これにも一章が割かれている。優生思想は能力の高い人間は子孫を残すべきで,低い人間は残すべきでないとし,その積み重ねによって人類の能力を高めていこうという考え方だ。ダーウィンのいとこゴードンが創始した。ナチスによるホロコーストをもたらしたため,悪いイメージがつきまとうが,優生思想は20世紀初頭の欧米エリートの間では支配的な考え方だった。アメリカでも実際に強制断種などが行なわれたという。
 素朴な感覚からは,遺伝子操作やサイボーグ技術によるエンハンスメントにはかなり抵抗がある。本のタイトルから推測できるように,サンデル自身もエンハンスメントに否定的だ。彼は「贈られものとしての生」を尊重すべし,という指針を提供している。多少宗教臭いが,予想される批判にもきちんと回答している。エンハンスメントは,確かに能力向上のための選択肢を増やす。しかしそれはいいことばかりでもない。選択には責任が伴い,選択しなかったことにも責任が伴う。エンハンスメントが可能だったのにしなかった,そのために凡庸な能力にとどまった。それは自己責任だということになると,社会を支える連帯が失われていく。連帯は人間という存在の本来的な脆弱性,予測不可能性に由来しているからだ。
 とはいえエンハンスメントもデザイナーチャイルドも,倫理的に問題のない行為との間に明確な線を引きにくいのは事実だ。ミュージカル歌手はマイクを使うのにオペラでは御法度とされるのはなぜだろう。ランナーの靴やスイマーの水着はどこまで手を加えると不当なエンハンスメントになるのか。好ましい相手を見つけて結婚し,子供をつくるという通常の行為も,ある程度子供を設計していることにならないか。などなど。