9月の読書メモ(心理)

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)


 震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
 今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
 第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシーゲーム脳等。巧妙な宣伝で信奉者を獲得している。
 実は科学を非科学からどう峻別するかという「線引問題」には決着がついていない。でもだからといって極端な相対主義に走ると,「科学とそうでないものの区別など存在しない」となってしまって意味がない。ここでは「多くの科学者が科学と思うものが科学」という認識で話がすすむ。
 科学とは,「再現性のある客観性的事実」で,メカニズムが未解明なだけではニセ科学とは言えない。ここでは「客観的」というのがポイントで,主観的な経験を短絡的に事実と結びつけるやり方はもちろん科学でない。超伝導のように,現象の確認が先にあって,あとから理論的説明が付いてくることも多い。
 ただ,科学的に考えにくい出来事でも「自分は経験した」という人は存在する。そういう個人的体験を全否定することは間違い,と菊池教授は言う。個人的経験はその人にとっては本物。ただそれと科学とを別に考えてもらえるようにするのは,なかなか難しいんだろうな。
 第二章は,科学哲学者の伊勢田哲二准教授。線引問題に詳しく,以前読んだ「疑似科学と科学の哲学」はとてもよかった。この著書を含め,科学哲学が従来取り扱ってきたのは,物理や天文学,生物学,化学などの事実解明的な科学。それをモード1科学と呼ぶ。
 モード1科学を支える価値観は,CUDOSと言われるそう。共有主義,普遍主義,利害の超越,組織的懐疑主義。発見を共有し,えこひいきや利害を排除して,研究内容のみを鵜呑みにせず吟味して評価するという態度。これが重要なのだが,モード1に属しない科学でこれを徹底しようとすると不都合が。
 モード1に属しないモード2科学とは,「応用の文脈における知」を指す。この場合,超領域的な状態が避けられない。すなわち産学連携のように,モード1科学的な価値観に属している以外の人たちも関わってくるので,CUDOSに忠実であることより問題解決が優先されてくる。
 モード2科学では,「今は証明不十分でも問題解決につながるから使う」という姿勢が擬似科学と共通してくる。モード1,2の科学,擬似科学の間の関係はグラデーションで,はっきりとした境界はないが,明らかに科学の範疇に入るものと,明らかに擬似科学であるものの区別をつけることはできる。
 それは「信用できる方法論があるのに、それを使わないようなもの」が擬似科学,という分類法。代替医療なんかも,信頼できる検証方法である二重盲検法で効果が見いだせないのに効果を主張する。有用な伝統的知識が発見され,広く利用されることがあるが,取り入れる側の態度が科学的であることが大事。
 第三章は,松永和紀氏による「報道はどのように科学をゆがめるのか」。報道は注目してもらえなければ意味がない。そのため,人々に受け入れられやすいように問題を極度に単純化し,センセーショナルに恐怖を煽る傾向がある。科学者を登場させて「こういう説もある」と紹介すれば報道機関の責任は軽い。
 エコナ発癌性問題(定量的検証を欠いた議論),遺伝子組み換え(組み換えナタネとイヌガラシの交雑騒動)などの事例を通じて,警鐘報道がもたらす擬似科学の独り歩きを指摘。メディアは誤報を訂正しないので(訂正情報はニュースバリューがない),科学的に間違った認識が社会に残り続ける。
 第四章では,サイエンスコミュニケーションのありかたを問う。イギリスでは,BSE騒動の反省(信頼の危機)から科学コミュニケーションにおいて大きな方針転換があった。従来の「理解」重視から「対話」重視への転換だ。これを参考に考える。
 伝統的な科学コミュニケーションでは,一般市民の科学理解(PUS)といって,知識のある者からない者へという一方的発信が主流だった。「正しい理解を広めれば不安はなくなる」とする考え。しかし,これではうまくいかなかった。この状況はいまの日本と相通じるものがあるなぁ。
 科学への信頼を再構築するためには,科学者,政府,産業,市民の間の双方向的対話や,政策決定への参加を重視する「公共的関与」が必要になってくる。科学技術に関する意思決定を,誰がどうやって行なうのが良いのか,それも含めて議論していかなくてはならない。ただ,議論の前提として,一定のリテラシーはやはり求められるよね…。そこはやはり教育しかないのではという気がします。
 付録に,片瀬久美子氏の「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」も収録。マクロビ,EM菌,米のとぎ汁乳酸菌…。…怪しすぎです。シノドスジャーナルで一部が読めるので,未読の方はぜひ。

人はなぜだまされるのか―進化心理学が解き明かす「心」の不思議 (ブルーバックス)

人はなぜだまされるのか―進化心理学が解き明かす「心」の不思議 (ブルーバックス)

 進化心理学への入門。人間の心の形成の基礎の部分には遺伝の影響があるとされている。与えられた環境の中で生き延びてきた人類進化の過程が,「心」に結実しているという興味深い話。
 以前「進化倫理学」についての本を読んだが,それと似た感じ。
 本書は,「錯視」「注意」「記憶」「感情」「想像」「信念」「予測」の六章を通じて,各心理特性がいかにして獲得されたのか,なぜ時々うまく機能しないのかを探る。
 人間は受け取る情報の多くを視覚に依存する。目が太陽光に対して感度が高いように進化してきたのと同様に,脳における視覚の解釈系も,動く物を瞬時に捉えるなど,人類が置かれてきた環境を生き抜くのに有利なように進化してきた。
 凹凸錯視というのがある。二次元に書かれた図から凹凸を感じることができるのは,遠近を把握するのが生存に有利だったため。その際,照明は上部にあることが前提なので,これを逆にすると凹凸が逆転して見える錯視が起こる。太陽光の下で生きてきたためこのような視覚特性が獲得された。
 また人間は外部を認識する際に,重要とされるところにリソースを振り向けて注意を払い,そうでないところは気にとめない。それが生存競争に有利だったから進化した。この特性を逆手にとって,マジシャンは重要でないところに注意を向けさせ,注目されないところでトリックを行なっている。
 人間の記憶もすべてをありのままに記憶するものではない。それでは容量が足りないので,もっと効率的に,体系づけて記憶は行なわれる。そうしなければ人類は生き延びられなかった。そのおかげで,今までの経験に反することなどが記憶から抜け落ちがちである,など欠点も含むことになった。
 また,記憶が曖昧でも,選択を迫られて一度エイヤと決めてしまうと,その決断を当初からの記憶と誤信してしまうことが多い。記憶の効率を高めるには適しているが,無意識に記憶が改変されてしまう。目撃者への犯人の「面通し」がこの仕組で冤罪につながるケースも後を絶たない。
 感情も,進化の賜物。危険を察知し退避するための「恐怖」,新しい有用なことを始める「好奇心」,集団の結束を深める「怒り」や「愛情」。捕食動物に囲まれた危険な環境という大きな淘汰圧が,「恐怖」などの感情を発達させたが,淘汰圧が薄れると,次第に多様化も許される。
 また人間は,自分勝手に行動するより協力して活動する方が生き残りに有利だった。そのため,仲間から行動や言葉で伝達される信念を重視する方向に進化が進む。これを逆手に取ったのが詐欺師やデマを流す人々。人間は他人を信じるのがデフォルト。懐疑心は教えていかなくてはいけない。
 人間は,他の類人猿から分岐して300万年もの間,狩猟採集生活をしてきた。農耕開始からは1万年程度にすぎない。だから危険な動物に囲まれた狩猟採集生活の中での進化の影響が,心にも色濃く残っている。そのころの人間集団は百人程度で,互いに顔見知り,相互信頼が有利だった。
 ところが集団の規模は1万年で急増し,相互信頼が必ずしも有利でなくなってしまった。この短期間では,懐疑精神が進化でできあがるまでには至らなかったらしい。文字を発明し,懐疑精神を含む知恵を後世に伝達することが可能になった為に,人類はこの急変にも対処できてきたのかも。

 架空の殺人事件を題材に,犯罪者プロファイリングの実際について解説。登場するプロファイラーの苗字が自分と同じで微妙に親近感。
だがしかし,プロファイリングって,あまり洗練された理論立ったものではない様子。犯罪学をもとに発達してきた手法で,FBIなんかで成功してきたらしいが。昔マガジン読んでた頃に,「サイコメトラーEiji」とか言う漫画でプロファイリングやってたっけかな?
 最近の映画やドラマなんかでも,プロファイラーが犯罪捜査に活躍しているらしい。へえ。あんま見ないけどね。「犯罪現場は,犯人の人格を反映している」んだって。本書の題材事例は,現代の凶悪犯罪の特徴をいろいろ取り込んで,作り上げた自信作らしい。
 それほど良く考えられた題材のわりに,プロファイリングの有効性があまり説得力をもって伝わってこなかったのは残念。実際の殺人事件などでは,きっかけや動機はわりと単純で,理解しやすいらしい。事件を取り巻く社会事象や,絡み合う個人の背景をひも解くのが難しいんだって。