6月の読書メモ(歴史)

1989年?現代史最大の転換点を検証する (平凡社新書)

1989年?現代史最大の転換点を検証する (平凡社新書)

 1989年。中学生だった当時は,社会,歴史,思想というものについてまったく無知だった。報道で騒がれていたのは何となく記憶するが,何が起きていたのかよくわからなかった。
 本書は,1989年に次々と起こった,世界史的な出来事について,前史から2年後のソ連崩壊まで含めて,駆け足で見てゆく。オリジナリティに欠けるという書評も多いようだが,知識の乏しい身には,大変勉強になる良い本だった。ソ連社会主義の終焉はどのようにして訪れたのか,何となくわかってきた気がする。
 1989年と言えば,昭和64年であり,平成元年である。第一章は昭和天皇社会主義の因縁を取り上げる。彼の誕生は,社会主義思想の流入が始まったころ。社会主義者は皇室を敵視,大逆事件虎ノ門事件などが起こる。虎ノ門事件では皇太子だった昭和天皇自身が襲撃をうけた。戦後にも共産化の危機があり,その後も新左翼の隆盛があった。天皇制と社会主義は対極にある。社会主義の終焉を象徴するのは1989年のベルリンの壁崩壊だが,昭和天皇はそれを見ることなく亡くなった。第一章でこれを取り上げて導入にするのはなかなかうまいやり方と思う。
 隣国中国では天安門事件が起こる。訒小平民主化運動を弾圧した。よく知らなかった詳しい状況がよく描写されている。はじまりは,民主化に好意的であったために失脚していた胡耀邦が死に,天安門広場で彼の追悼集会が開かれたこと。それが次第に体制批判にエスカレートし,連日天安門広場をデモが埋めつくした。これに対して当局は解散を呼び掛けるがデモ側は応じず,ついに戒厳令が発出される。デモ学生も一枚岩ではなかったが,強硬派が影響力をもってしまい,多数が広場からの退去を拒み続ける。そして6/4ついに人民軍の戦車がバリケードを押しつぶし,広場に突入。発砲をうけ,あるいは戦車の下敷きになって大勢の丸腰の民間人が死んだ。弾圧の映像は世界に衝撃をもたらした。結局,「中国の発展のためには共産党一党独裁による指導が不可欠だ」とする訒小平の信念に,民主化勢力はたたきつぶされた。中国は国際的批難を浴びるが動じない。
 しかし東欧では事情は違った。経済的に遅れ,西側からの借金漬けだった東欧諸国の政府には,そのような無茶はできない。ポーランドでは東欧初の非共産政権が成立。ハンガリーではオーストリアとの国境管理が緩和され,ピクニックにかこつけて東ドイツ住民の西側への亡命を後押しする「ピクニック事件」が勃発。戦後,共産主義の急拡大を懸念して唱えられたドミノ理論」の逆の連鎖が起こっていく。
 共産主義政権は急速に退潮していく。東ドイツでは,民主化を希望するデモがどんどん膨れ上がり,ついにホーネッカーは辞任せざるを得なくなる。そして11月,ついにベルリンの壁が崩壊する。これがまったくのハプニングだったことには驚いた。
 東ドイツは「旅行法」を改正して出国の自由を拡大することとした。とはいえ申請と許可は依然として必須のはずだった。しかしこれが手違いで内容をよく知らない政治局員によって発表されてしまい,しかも直ちに国境が開かれるかのように全世界に伝えられてしまった。
 こういう事態はあとから「間違いでした!」となかったことにできるものではない。ベルリンの壁のゲートに半信半疑の市民が集まってき,その数がみるみる増えてゆく。それまでに国境突破を防ぐべく百人を超える東ドイツ市民を射殺してきた警備隊も,多勢に無勢。隊員は,当然何の命令も聞いておらず,「国境は開かれるはずだ」という市民たちと小競り合いが始まる。電話で上官と話しても要領を得ない。ついには「開け」コールが怒涛のように鳴り響き,危険を感じた警備隊はその圧力に屈してゲートを開く。
「事実は小説よりも奇なり」とか言うけれど,歴史って本当にドラマチックなことがある。本当に「こんなことから?」ということで歴史が動く。それも一回限り。ある程度の趨勢,流れというのはあるのだろうが,「偶然」というのが歴史の歩の進み方に大きく影響を及ぼすんだな。
 それに20世紀も後半になると,世界中のどんな出来事も瞬時に地球を駆け巡り,影響を与えあう。天安門事件がなかったら,ポーランドの「連帯」勝利がなかったら。すべては関連し,つながっている。近現代史の醍醐味だと思う。

三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書)

三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書)

 昔から広く読まれ,今も小説(吉川英治),漫画(横山光輝),ゲーム(?)で大人気の三国志曹操関羽諸葛亮の三人を中心に,『演義』と正史(含裴注)がどう描くか見比べながら読む。
 まず三国志のテキストがどう変遷していくのかを確認。西晋陳寿が著した『三国志』に,劉宋の裴松之が注をつけた。そしてこの正史や口伝をもとに,明の羅貫中が虚構を取り混ぜた『三国志演義』としてまとめて,これが普及した。『演義』も様々にテキストが変わっていく。羅貫中の作は散逸してしまっていて,たくさんの異本が残っている。20世紀の日本では,明の李卓吾本が,吉川英治の小説を通して受容されたが,中国では,李卓吾本から派生した清の毛宗崗本が決定版である。
 毛宗崗本では,曹操関羽諸葛亮を「三絶」と称して強調する。順に,「奸絶(奸の極み)」,「義絶」,「智絶」とする。小説『三国志演義』はもともとフィクションを交え,悪役曹操,義の人関羽,天才諸葛亮をデフォルメして庶民にウケやすい物語にしたが,毛宗崗本はその完成版ともいえる。
 陳寿の『三国志』は簡潔で,例えば結構有名な登場人物趙雲についての伝がわずか2tweet分しかない。246文字。これに裴注は『趙雲別伝』1096字を補っている。裴松之陳寿のとりこぼした史料を拾ってくれたおかげで,後世に伝わった史実は少なくない。
 このように『三国志』と裴注は,比較的当時に近い時代に,残っていた史料をもとに書かれている。これに対して,『三国志演義』は,おもしろおかしくストーリーを仕立てて,三国志の物語を広めようという意図のもとに作られたので,虚構がかなり盛り込まれている。
 例えば曹操による有名な呂伯奢殺害事件というのがある。これは董卓暗殺に失敗した曹操が逃亡中,父の友人である呂伯奢一家を殺害した事件。これは陳寿三国志』になく,裴注が補った三史料も家人殺害しか載せていない。曹操の奸を強調するのは『演義』特に毛宋崗本からである。正史三国志』は曹操の魏を正統とする立場で書かれているので,曹操を悪く書かない。それに対して演義』は漢王室の流れをくむ劉備を正統とするので,曹操は徹頭徹尾悪として描き,劉備の蜀は善,孫権の呉は道化として描いている。あからさまに一般受けを狙っている。
 関羽については,主人である劉備に対して義であるのみならず,曹操に対しても義であることが示されて「義絶」が強調される(顔良を斬って劉備のもとへ帰るエピソード)。「智絶」諸葛亮などは,策謀だけでなく,魔術をつかって風を起こしたり,人知を超えた活躍をさせられる。
「死せる孔明,生ける仲達を走らす」は三国志の終わりごろのエピソードと記憶されるが,これは『演義』から。諸葛亮の死は,約百年続いた三国時代のちょうど中間くらいだが,民間受けを狙う以上,ここをクライマックスにしない手はない。
 結局,三国志は正史に始まり,いろいろと変容を受けて小説『演義』にまとまり,登場人物の役回りも決まってきて物語は分かりやすく,魅力的になり,日本でもそのように受容され消化されてきた。正史そのままでなく,このように純化・洗練されてきたからこそ,今に至っても根強い人気があるのだと思う。おそらく今でも(ネット時代の今だからこそ?)三国志はさらなる変容を受けてまた違った読み方ができるようになっているのだろう。まったくフォローできていないが。

戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)

戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)

 アメリカ化,格差社会,大衆民主主義をキーワードに,昭和はじめの20年の日常を垣間見る。先日90になった祖母,今年92の祖父は,まさにこの時代に育った,と思うと感慨深い。
 戦前にも大衆消費社会があって,デパートが繁盛し,同潤会アパートができ,映画が娯楽として定着し,電灯や扇風機といった家電が売れた。しかし格差は厳然と存在し,昭和恐慌,金融恐慌を経て農村・労働者は疲弊した。
 革命による格差是正の夢も弾圧によって潰えマルクス思想から「エロ・グロ・ナンセンス」へ,世相は退廃へと転換する。現世利益を謳う新興宗教ひとのみち教団」も弾圧される。
 そこへラジオとともに颯爽と現れたのが近衛文麿。彼のカリスマに大衆は熱狂し,いつの間にか日本は敗戦への道をひた走っていた。激動の20年。祖父母たちは若くしてこんな時代を生き抜いてきたのだなぁ。